布告、年代記、王のリスト、歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「布告、年代記、王のリスト、歴史」の解説
現代の歴史家たちは、伝記的(もしくは自伝的)テクストの一部は重要な歴史的史料であると考えている。例えば、トトメス3世の治世下で建設された神殿型貴族墓にある軍の将軍たちの伝記的石碑はシリアとパレスチナでの戦争について現在知られている情報の多くをもたらしている。また一方、トトメス3世の治世下に作られたさまざまな建造物(カルナック神殿のものなど)の壁に彫られたトトメス3世の年代記も、これらの戦役に関する情報を今日に伝えている。『トトメス3世年代記』はカルナックのアメン神殿においては第6塔門と至聖所のあいだの、みずから増築した部分の壁に記されている。年代記には、出来事がいつ起こったことであるかを明示しながらも、ファラオの姿を雄々しく描写するなど文学的な諸要素もみられる。ヒッタイトとのカデシュの戦いを伝えるラムセス2世(治世:紀元前1279-1213年)の年代記は、エジプト文学において初めて、従来の、記念または伝承を目的とした詩とは異なる物語的な叙事詩を含んでいた。 第5王朝のパレルモ石などのような簡潔な年代記に見出される古代の王のリストもエジプト史を調査する上で有用な史料である。これらの文書は同時代のファラオによる支配権の主張を正当化するものであった。古代エジプトの歴史を通じ、王の布告は統治するファラオの事績を物語っていた。例えば、第25王朝の創始者であるヌビアのファラオピイ(治世:紀元前752-721年)は、古典的な中エジプト語で並外れた陰影と鮮明な想像力を以てその軍事作戦の成功を記述した石碑を建てさせた。 ギリシア名「マネト」で知られるエジプトの歴史家(紀元前3世紀頃)が、エジプトの包括的な歴史を編纂した最初の人物であった。マネトはプトレマイオス2世の治世下(紀元前283-246年)に活動し、ヘロドトス(紀元前484年頃-425年頃)の『歴史』を主要な着想源としてギリシア語でエジプトの歴史を書いた。しかしながら、マネトの仕事の主要な情報源は以前のエジプト諸王朝の王の列伝であった。
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