第6塔門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
第6塔門は、トトメス3世により2本の角柱が立つ「記録の間」(年代記の間、上・下エジプトの間)の入場門として築かれたが、ほとんど残存していない。トトメス3世の塔門はアメンホテプ4世により破壊された後、ツタンカーメンによって修復されたアメン神のいくつかの彫像などがある。これらの彫像画は、その後またツタンカーメンの修復した碑文を奪ったホルエムヘブによって再び刻まれた。ここから「記録の間」であった中庭より聖舟安置所を通り、王が貢ぎ物を記録した「供犠の間」へとつながる 上・下エジプトの柱 ハトシェプストの時代にレバントの小国が離反するのを見た次王トトメス3世は、遠征を17年間繰り返し、レバント(シリア=パレスチナ)遠征の勝利を「トトメス3世年代記」として刻んだ。この「記録の間」にあった天井は、南北にある2本の花崗岩の角柱により支えられ、北の柱には下エジプトを象徴するパピルス、南の柱には上エジプトを象徴するロータスが、隆起した高浮き彫りにより装飾され、側面には神々と交わるトトメス3世とともに、上段にムトとその下にアメン=ラーが彫られている。
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