巨大建築とは? わかりやすく解説

巨大建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)

エジプト第18王朝」の記事における「巨大建築」の解説

続くアメンヘテプ3世(前1386年 - 前1349年)の時代にはより一層、王側のアメン神官団に対す人事介入進んだ。というのはアメンヘテプ3世アメン大司祭職に、アメン神官ではないプタハメスを任じたのである。プタハメスのあとにはアメン神官側の巻き返しもあり、アメン神官であるプタハメスがアメン大司祭就任したが、上下エジプト神官長職にはプタハ大司祭トトメスを、アメン第二司祭職には王妃ティイ兄弟アネンを任じアメン神官団の動き牽制した。 アメンヘテプ3世このような方策によって国内における自分地位確固たるものとし、建築活動対外交渉において大きな成果をあげていったアメンヘテプ3世軍事活動に関する記録はほとんど無いが、彼の建築活動エジプト史上空前規模行われ今日においても彼が建造した建物数多く残されている。アメンヘテプ3世上回る建築活動行った王は、以後にもエジプト史上最大の王といわれる第19王朝ラムセス2世しかおらず、まさにアメンヘテプ3世治世第18王朝最盛期ということができる。 彼の建築した建物中でも代表的なもの挙げれば、現在マルカタ王宮の名で知られる人造湖を伴う巨大王宮や、その2kmほど北に造られテーベ最大葬祭殿などがある。この葬祭殿は現在では原型留めないが、アメンヘテプ3世巨大な坐像残りメムノンの巨像異名知られるメムノンの巨像次いで大きなカルナク神殿赤花崗岩製の頭像ルクソール神殿カルナック神殿を結ぶ参道スフィンクスなども特に目立つものの1つである。 他にも彼にまつわる建造物ヌビアから下エジプトに至るエジプト全域発見されており、その多くは現在観光名所となっている。こうした巨大建造物建築辣腕振るったのは、アメンヘテプ3世寵臣であったハプの子アメンヘテプであった。彼は低い身分出身にも拘らず前述メムノンの巨像をはじめ多く建造物建設携わるとともに晩年には王女サトアメン付き管財人にまで登った。こうした功績によって彼は王達ならんで葬祭殿造営許可されており、これは異例中の異例出来事である。 アメンヘテプ3世まつわる建造物などについてはエジプト新王国参照

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巨大建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:33 UTC 版)

エジプト新王国」の記事における「巨大建築」の解説

新王国時代大規模建築数多く現存している。以下に歴代の王が行った建築活動のうち代表的なもの列挙するハトシェプスト ハトシェプスト女王としては初めエジプト実質的な統治権握った人物であった。彼女はデイル・アル=ハバリにあるメンチュヘテプ2世王墓真横巨大な葬祭殿建設させた。 トトメス3世 トトメス3世は「古代エジプトのナポレオン」とも評される征服王であった。彼はテーベアメン神殿第6塔門、4本のオベリスクなどを建設しヘリオポリスにも2本のオベリスク建てたトトメス3世が行った多く建設事業宰相レクミラによって監督されたと考えられている。 アメンヘテプ3世 第18王朝が最も繁栄した時代統治したアメンヘテプ3世空前規模建築活動行った取り分け重要なのはテーベのそばに作られたマルカタ王宮である。王宮南宮殿、中宮殿、北宮殿からなり、その北にはアメン神殿建てられた。また王宮にはビルカト・ハーブと呼ばれる長さ3km、幅900mにわたる人造湖作られナイル川結ばれて港湾施設となっていた。 アメンヘテプ4世アクエンアテンアテン信仰追求し、他の神の排除行ったアメンヘテプ4世時代にはアテンのための新都アケトアテン建設された。これは現在アマルナ呼ばれており、ここから発見され多数外交書簡などは古代史解明大きな役割果たしている。また彼の治世にはアマルナ美術呼ばれる新し芸術様式普及したトゥトアンクアメンツタンカーメントゥトアンクアメン自体それほど目立つ王ではないが、ほとんど無傷発見され彼の王墓から豪華な副葬品出土し古代エジプト美術品中でも最高水準のものを現代伝えた実際に彼の王墓2度盗掘受けているが、王墓異例なほど小規模だったことと、その後の工事の際に瓦礫の下に埋まってしまったこと、更にアテン信仰に関わった王の歴史が後に抹消されたことなどが重なり本格的な盗掘免れたラムセス2世 ラムセス2世古代エジプト史上最大建築活動行った王である。エジプト各地彼の記念建造物残されており、代表的なものとしてはヌビア建設されアブ・シンベル神殿テーベ建てられラムセス2世葬祭殿ラメセウム)が挙げられるラムセス3世 最後偉大な王とも言われるラムセス3世建設したラムセス3世葬祭殿(マディーナト・ハブ神殿)は「海の民」に関する記録碑文刻まれていることから重要である。壁面にはラムセス2世葬祭殿から複写された戦勝記念碑文などが記載されている。

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巨大建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 14:50 UTC 版)

プローラ」の記事における「巨大建築」の解説

プローラ巨人呼ばれるビル群は砂浜から150mほど陸側に位置している。残存している第三帝国建築中でも、その統一感とヒューマンスケール超える巨大さ印象的な建物で、ナチス建築典型といえるのである一棟500m長さビル8つ連なる巨大建築は、1936年から1939年にかけて、ナチス労働者組織ドイツ労働戦線下部組織歓喜力行団Kraft durch FreudeKdF国民余暇活動供給した組織)が巨大保養施設として建設進めたものであったそれぞれのビルは全く同じ形をしており、20,000人の労働者休暇を過ごすために計画されていたが、本来の目的ではついに使用されることはなかった。 戦後住民のいない廃墟同然となり、世界最大空き家とすら呼ばれていたが、2006年一部売却され、ようやく再利用進められようとしている。

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