巨大建築
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続くアメンヘテプ3世(前1386年 - 前1349年)の時代にはより一層、王側のアメン神官団に対する人事的介入が進んだ。というのはアメンヘテプ3世はアメン大司祭職に、アメン神官ではないプタハメスを任じたのである。プタハメスのあとにはアメン神官側の巻き返しもあり、アメン神官であるプタハメスがアメン大司祭に就任したが、上下エジプト神官長職にはプタハ大司祭トトメスを、アメン第二司祭職には王妃ティイの兄弟アネンを任じ、アメン神官団の動きを牽制した。 アメンヘテプ3世はこのような方策によって国内における自分の地位を確固たるものとし、建築活動、対外交渉において大きな成果をあげていった。アメンヘテプ3世の軍事活動に関する記録はほとんど無いが、彼の建築活動はエジプト史上空前の規模で行われ、今日においても彼が建造した建物は数多く残されている。アメンヘテプ3世を上回る建築活動を行った王は、以後にもエジプト史上最大の王といわれる第19王朝のラムセス2世しかおらず、まさにアメンヘテプ3世の治世が第18王朝の最盛期ということができる。 彼の建築した建物の中でも代表的なものを挙げれば、現在マルカタ王宮の名で知られる人造湖を伴う巨大王宮や、その2kmほど北に造られたテーベ最大の葬祭殿などがある。この葬祭殿は現在では原型を留めないが、アメンヘテプ3世の巨大な坐像が残り、メムノンの巨像の異名で知られる。メムノンの巨像に次いで大きなカルナク神殿の赤花崗岩製の頭像、ルクソール神殿とカルナック神殿を結ぶ参道のスフィンクスなども特に目立つものの1つである。 他にも彼にまつわる建造物はヌビアから下エジプトに至るエジプト全域で発見されており、その多くは現在観光名所となっている。こうした巨大建造物の建築に辣腕を振るったのは、アメンヘテプ3世の寵臣であったハプの子アメンヘテプであった。彼は低い身分の出身にも拘らず前述のメムノンの巨像をはじめ多くの建造物の建設に携わるとともに、晩年には王女サトアメン付きの管財人にまで登った。こうした功績によって彼は王達とならんで葬祭殿の造営が許可されており、これは異例中の異例の出来事である。 アメンヘテプ3世にまつわる建造物などについてはエジプト新王国を参照
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巨大建築
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新王国時代の大規模建築は数多く現存している。以下に歴代の王が行った建築活動のうち代表的なものを列挙する。 ハトシェプスト ハトシェプストは女王としては初めてエジプトの実質的な統治権を握った人物であった。彼女はデイル・アル=ハバリにあるメンチュヘテプ2世王墓の真横に巨大な葬祭殿を建設させた。 トトメス3世 トトメス3世は「古代エジプトのナポレオン」とも評される征服王であった。彼はテーベのアメン神殿に第6塔門、4本のオベリスクなどを建設し、ヘリオポリスにも2本のオベリスクを建てた。トトメス3世が行った多くの建設事業は宰相レクミラによって監督されたと考えられている。 アメンヘテプ3世 第18王朝が最も繁栄した時代を統治したアメンヘテプ3世は空前の規模の建築活動を行った。取り分け重要なのはテーベのそばに作られたマルカタ王宮である。王宮は南宮殿、中宮殿、北宮殿からなり、その北にはアメン神殿が建てられた。また王宮にはビルカト・ハーブと呼ばれる長さ3km、幅900mにわたる人造湖が作られ、ナイル川と結ばれて港湾施設となっていた。 アメンヘテプ4世(アクエンアテン) アテン信仰を追求し、他の神の排除を行ったアメンヘテプ4世の時代にはアテンのための新都アケトアテンが建設された。これは現在アマルナと呼ばれており、ここから発見された多数の外交書簡などは古代史の解明に大きな役割を果たしている。また彼の治世にはアマルナ美術と呼ばれる新しい芸術様式が普及した。 トゥトアンクアメン(ツタンカーメン) トゥトアンクアメン自体はそれほど目立つ王ではないが、ほとんど無傷で発見された彼の王墓から豪華な副葬品が出土し、古代エジプトの美術品の中でも最高水準のものを現代に伝えた。実際には彼の王墓も2度の盗掘を受けているが、王墓が異例なほど小規模だったことと、その後の工事の際に瓦礫の下に埋まってしまったこと、更にアテン信仰に関わった王の歴史が後に抹消されたことなどが重なり、本格的な盗掘を免れた。 ラムセス2世 ラムセス2世は古代エジプト史上最大の建築活動を行った王である。エジプト各地に彼の記念建造物が残されており、代表的なものとしてはヌビアに建設されたアブ・シンベル神殿やテーベに建てられたラムセス2世葬祭殿(ラメセウム)が挙げられる。 ラムセス3世 最後の偉大な王とも言われるラムセス3世が建設したラムセス3世葬祭殿(マディーナト・ハブ神殿)は「海の民」に関する記録が碑文に刻まれていることから重要である。壁面にはラムセス2世の葬祭殿から複写された戦勝記念碑文などが記載されている。
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巨大建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 14:50 UTC 版)
プローラの巨人と呼ばれるビル群は砂浜から150mほど陸側に位置している。残存している第三帝国の建築の中でも、その統一感とヒューマンスケールを超える巨大さが印象的な建物で、ナチス建築の典型といえるものである。 一棟500mの長さのビルが8つ連なる巨大建築は、1936年から1939年にかけて、ナチスの労働者組織ドイツ労働戦線の下部組織・歓喜力行団(Kraft durch Freude、KdF、国民に余暇活動を供給した組織)が巨大保養施設として建設を進めたものであった。それぞれのビルは全く同じ形をしており、20,000人の労働者が休暇を過ごすために計画されていたが、本来の目的ではついに使用されることはなかった。 戦後は住民のいない廃墟も同然となり、世界最大の空き家とすら呼ばれていたが、2006年に一部が売却され、ようやく再利用が進められようとしている。
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