エジプト第18王朝とは? わかりやすく解説

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エジプト第18王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:50 UTC 版)

エジプト第18王朝(エジプトだい18おうちょう、紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃)は、新王国時代最初の古代エジプト王朝。政権としては第2中間期テーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール[注釈 1])政権である第17王朝と完全に連続した政権であるが、エジプト統一を成し遂げたイアフメス1世以降は第18王朝とするのが慣例となっている。エジプトの再統一による国力増大によって数々の大規模建築が残され、ヌビアシリア地方に勢力を拡大し、オリエント世界に覇を唱えた。


注釈

  1. ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメンアメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
  2. ^ アナトリア半島南東部からメソポタミア中流域に勢力を持った王国。フルリ人を中心とした国家であり、王家を含む上層部にはインド・ヨーロッパ語を解する人々がいたとされる場合が多いが不詳。
  3. ^ 古代エジプト人にとって方角の基準はナイル川であった。特に上エジプト地域では実際の方角に関係なく、観測地点でのナイル側の上流方向が南、下流方向が北とされている。「逆さに流れる」とは即ちユーフラテス川が北側から南方向へ流れていることによる。
  4. ^ ハトシェプスト以前にも数名の女王の存在が知られているが、彼女らはいずれも自ら主導権をとって即位したものではなく、業績自体ほとんどわかっていない。
  5. ^ アメン・ラー神のことを指す。この碑文ではエジプト軍の移動がアメン・ラー神の移動という形で語られている。
  6. ^ 当時シリアには象が100頭を超える群を形成して生息していた。しかし西アジアの象は現在では完全に絶滅してしまっている。
  7. ^ アナトリア半島の都市ハットゥシャを中心にインド・ヨーロッパ語を話すヒッタイト人らによって形成された王国。世界で初めて製鉄の技術を確立したとも言われている。
  8. ^ メソポタミア南部、「シュメールとアッカド」と呼ばれる地方のこと。中心的都市であるバビロンにちなみこの名で呼ばれる。当時はカルドニアシュと呼ばれた。
  9. ^ 別名バビロン第3王朝。ザグロス山脈方面からメソポタミアに移動したといわれる系統不明の民族カッシート人によって立てられ、古代バビロニア史上最も長く続いた。
  10. ^ この時代の外交書簡には「エジプトには塵のように黄金がある」と記すものがある。この黄金の主要な供給源こそヌビアであった。
  11. ^ 20世紀初頭のアメリカのエジプト学者。初めて肥沃な三日月地帯という概念を提出したことで知られる。
  12. ^ 後に王となるホルエムヘブとは別人。
  13. ^ アメンヘテプ4世の共同統治説を受け入れる場合、アテン神信仰の確立にアメンヘテプ3世自身が強く関っていたことになる可能性がある。これのため非常に大きな論争が行われているのである。
  14. ^ 「アテンの意に適う者」と訳す説もあり[2]
  15. ^ 「世界初の一神教」ともいわれるアテン信仰であるが、アテン・ラー賛歌などの宗教作品が後の『旧約聖書』などと類似した表現を用いることからユダヤ教キリスト教に対する思想的影響を指摘する説があった。しかし今日では、アテン信仰が流布した範囲が極めて限られていることや、時期的にあまりにも離れすぎているため、似たような精神的背景によって偶然類似した表現が用いられているに過ぎず、アテン信仰と後世の一神教との関係性はあまりないと考えられている
  16. ^ トゥトアンクアメンは、ほとんど未盗掘のまま発見された彼の墓から有名な黄金のマスクを初めとした宝物が出土したために極めて有名な王である。しかしほとんど実績を残さず死亡したために彼についての歴史記録は十分とは言えず、家族関係や即位の経緯を含めて詳細は今なお不明な点が多い。
  17. ^ ダムハンズとは王妃を意味するエジプト語の単語を基にした名前であると考えられる。ヒッタイト側では実名であるととったらしい。ダムハンズは一説にはトゥトアンクアメンの王妃アンケセンアメンであるといわれているが、アクエンアテンの王妃ネフェルティティであるとする説も存在する。

出典

  1. ^ アメンヘテプ3世の外交政策についての記述は「アメンヘテプ3世とその時代」『岩波講座世界歴史2 オリエント世界』に基づく。
  2. ^ 参考文献「アテン・ラー賛歌」『筑摩世界文学大系1 古代オリエント』を参照。


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