新王国時代の形成とは? わかりやすく解説

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新王国時代の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)

エジプト第18王朝」の記事における「新王国時代の形成」の解説

イアフメス1世の後、息子アメンヘテプ1世(前1551年 - 前1524年)が即位した。彼は30年近い統治年数を持つにも関らず記録をあまり残していない。しかし官職売買に関する文書などは彼の時代に完全に姿を消すことから、父王の路線継続して内政充実努めていたと考えられる彼の時代とりわけ重要な事業は、テーベ主神でありエジプト国家神となるアメン信仰中枢アメン大神殿カルナック神殿)の拡張計画開始である。以降この神殿ローマ帝国時代まで継続的な修復改修拡張繰り返され今日にもその威容残している。 アメンヘテプ1世の後に王位継承したのはトトメス1世(前1524年 - 前1518年であったトトメス1世アメンヘテプ1世血縁関係不明瞭であるが、恐らく義兄弟であっただろうといわれている。というのはトトメス1世アメンヘテプ1世の妹イアフメス英語版)を妻としているからである。トトメス1世自身軍人出であり、このような場合しばしば王朝交代とされるマネト連続した王家見なしている。 トトメス1世治世は短いが、輝かし軍事的成功偉大な建築家存在によって一時代画したトトメス1世大規模なアジア遠征企画した。この遠征当時メソポタミア北部勢力拡大していたミタンニ王国に対して行われたものであったミタンニ当時近隣アッシリアヒッタイト圧迫しながらその勢力拡大しており、早晩エジプト支配するシリア・パレスチナにおいても深刻な脅威となると見られた。これを排除するために行われたトトメス1世奇襲攻撃成功裏終わりミタンニ側に組織的な抵抗を許す事なく「逆さに流れる川」(ユーフラテス川)まで進軍ユーフラテス河畔のカルケミシュ近郊境界石置いてエジプト武威示したトトメス1世はこの勝利をアメン神に感謝しカルナック神殿戦利品寄進するとともに神殿アメンヘテプ1世時代以上に拡張した。現在に残るカルナック神殿基本的な部分はこのとき造られたものである遠征戦利品カルナック神殿寄進するのは以後エジプト王の慣例となる。更にエジプト歴代王王墓が集まる土地として名高い王家の谷形成されるのも彼か、それに前後する時代である。王家の谷建設深く関わったと考えられる高官イネニに関する記録残されている。トトメス1世ヌビア地方においても成功収めイアフメス1世征服した領土を更に南に押し広げた。 王家の谷については王家の谷、およびエジプト新王国参照

※この「新王国時代の形成」の解説は、「エジプト第18王朝」の解説の一部です。
「新王国時代の形成」を含む「エジプト第18王朝」の記事については、「エジプト第18王朝」の概要を参照ください。

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