新王国時代のミイラ作り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)
「古代エジプトの宗教」の記事における「新王国時代のミイラ作り」の解説
この時代に入ると、ミイラの製作技術にも進歩が見られた。この時代に、脳を摘出するさまざまな方法が考案され、脳を摘出した後の頭蓋骨内の空洞部にはマツヤニに浸した亜麻布が詰められていた。 第18王朝時代には内臓摘出のための腹部の切り口の位置が変化した。それに加え、新しい試みとして、皮膚の下に詰め物をすることが、アメンホテプ3世のミイラで最初に行われた。 第21王朝までには、皮膚の下に詰め物を施すこの方法は、上流階級の多くのミイラに使用され、生前の人物の特徴を再現しようと試みられた。顔の詰め物は、口から入れられ、しばしば義眼も暖め込まれた。また、かつらが死者の毛髪を覆っていた。顔面や体全体にも、(男性に対しては)赤褐色の顔料が、そして(女性に対しては)生前の色つやを再現するためにクリーム色の顔料が塗られることが多かった。
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