新王国時代とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 21:36 UTC 版)
ウィキメディア・コモンズには、サフラーに関連するカテゴリがあります。 ウィキメディア・コモンズには、サフラーに関連するカテゴリがあります。 故王として、サフラーは新王国時代も引き続き宗教的供物を受けた。これを最も良く示す証拠は、第18王朝のトトメス3世の時代にカルナック神殿の壁に刻まれた王の祖先のリストである「カルナック王名表」である。古代エジプトの他の王名表とは異なり、このリストは年代順に並べられていない。その理由はこのリストの目的が歴史の記録ではなく純粋に宗教的な物、即ちカルナック神殿でかつての王達の名を尊崇の対象とすることであったことである。 第19王朝時代、ラムセス2世の王子カエムワセト1世(英語版)は、エジプト全土の荒廃したピラミッドと神殿の修復作業を請け負った。サフラーのピラミッドの覆いの石にある碑文は、それがこの時に修復されたことを示している 。これは第18王朝の半ばから、サフラーの葬祭殿がセクメト女神の聖域となったことによる可能性がある。第18王朝の後半と第19王朝の時代、数々の訪問者が神殿内に碑文、石碑、像を残した。 、第26王朝(前664-前525)からプトレマイオス朝(前332-前30)までの落書きによって示されるように、この慣習は長い間この地で続いたように思われる。
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