伝統信仰への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)
「エジプト第18王朝」の記事における「伝統信仰への復帰」の解説
アクエンアテン治世末期、彼の弟または息子であるスメンクカーラー(前1336 - 前1334)が共同王の座についていた。彼の統治期間は大半がアクエンアテンとの共同統治であったと考えられているが、アクエンアテンの死後まもなく死去した。そのため別の王族であるトゥトアンクアテン(前1334 - 前1325)が擁立された。トゥトアンクアテンは即位時わずか9歳であり、政治的実権は宰相のアイと将軍ホルエムヘブが握ることになった。この両名の主導の下、アテン神信仰は廃され伝統的なアメン神を中心とした神々への信仰復活が行われた。トゥトアンクアテン王の治世第4年に王名がトゥトアンクアメン(「アメン神の生ける似姿」、ツタンカーメン)に変更され、王妃の名もアンケセンアメンと改められ、都をかつての首都メンフィスに移すことが宣言された。 ただし、こうした伝統信仰への復帰がアメン神官団などの神官勢力ではなく、アイとホルエムヘブという官僚の手によって行われたために、アメン信仰が復活してもアメン神官団の政治的影響力は劇的に復活しなかった。メンフィスへの遷都もアメン神官団の政治的影響力から距離を取ろうとしたためであるといわれている。 こうしてアテン信仰に伴う一連の混乱に終止符が打たれると、ホルエムヘブの主導の下、シリアに遠征し南部におけるエジプトの秩序を回復することに成功した。
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