ヒッタイトの台頭とエジプト・ミタンニ同盟とは? わかりやすく解説

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ヒッタイトの台頭とエジプト・ミタンニ同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)

エジプト第18王朝」の記事における「ヒッタイトの台頭とエジプト・ミタンニ同盟」の解説

長きわたってシリア支配権巡って対立続けていたエジプトミタンニの関係は、アメンヘテプ2世治世晩年から変化し始めた。これはアナトリア勢力拡大するヒッタイトシリア侵入する動き示したためである。とりわけトゥドハリヤ1世時代ではその傾向顕著であり、ハラブアレッポ)、ミタンニ相次いで破りシリア侵入した。この事態受けてエジプトミタンニ長年対立収束させて講和の席を設けることになったトトメス4世時代にこの講和成立しトトメス4世後宮ミタンニ王アルタタマの娘が入り同盟関係結ばれた。こうしてエジプトミタンニ同盟を軸にシリア地方政治情勢安定することになったアメンヘテプ3世もこの路線継承しており、エジプト・ミタンニ同盟継続された。彼はミタンニシュッタルナ2世の娘ギルヒパ(英語版)を娶っており、婚姻を軸にした同盟が行われていた。トトメス4世アメンヘテプ3世はこれらの婚姻成立させるために婚姻繰り返しミタンニ打診していた。アメンヘテプ3世はギルヒパを娶って以降、他のオリエント世界諸国との間にも同様の関係を結ぶ方針立て数多く王女エジプト後宮輿入れした具体的な所ではカッシートバビロニア王女2人や、アルサワ(キプロス)の王女存在知られている。 こうした婚姻外交エジプト異国王女嫁ぐことはあっても、エジプト王女外国嫁ぐことは無いという一方通行のものであったカッシートバビロニアの王カダシュマン・エンリル1世英語版)がエジプト王女との婚姻依頼した際には、アメンヘテプ3世取り付く島無くこれを拒否している。つまりは、アメンヘテプ3世エジプト上位としたオリエント国際秩序希求していたのであったこうした王女輿入れ見返りとして、エジプトから周辺諸国膨大な量の金が提供された。オリエント各国はしばしエジプトに金を求め外交書簡送っており、こうして提供される金はエジプト影響力広く浸透させるのに役立ったのである

※この「ヒッタイトの台頭とエジプト・ミタンニ同盟」の解説は、「エジプト第18王朝」の解説の一部です。
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