ルクソール‐しんでん【ルクソール神殿】
ルクソール神殿(エジプト)
ルクソール神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 07:16 UTC 版)
ルクソール神殿(ルクソールしんでん、アラビア語: معبد الأقصر、英語: Luxor Temple)は、エジプトのルクソール(古代のテーベ)東岸にある古代エジプト時代の神殿である。
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- 1 ルクソール神殿とは
- 2 ルクソール神殿の概要
- 3 歴史
- 4 神殿の構成
- 5 参考文献
- 6 関連項目
ルクソール神殿
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詳細は「ルクソール神殿」を参照 ルクソール神殿はナイル川の東岸にあるルクソール(古代にはテーベと呼ばれていた。)の市街の中にある古代エジプトの神殿複合体である。建築工事は紀元前14世紀アメンホテプ3世の治世に始まった。ホルエムヘブとツタンカーメンが支柱と彫像とフリーズを増やし、 アメンホテプ4世は早々に父のカルトゥーシュを消し去ってしまい、 アテンを讃える霊廟を建造した。しかし、もっとも大規模な拡張工事は最初に神殿の工事が始まってから約100年経ったラムセス2世の治世に行われた。 ルクソール神殿はラムセス2世が23mの高さの最初の塔門を建てたことにより建造が始まった。塔門はラムセスの軍事的功績(特にカデシュの戦い)を讃える装飾が施されている。のちのファラオたち(特にヌビア朝やエチオピア朝のファラオたち)も彼らの戦績をそこに刻んでいった。この神殿複合体の正門にはもともと6体(うち4体は座っていて2体は立っていた)のラムセスの巨大な彫像が立って脇を飾っていたが、現存しているのはそのうちの2体(どちらも座っているもの)である。現在神殿を訪問するとこれらに加えて25mの高さのピンクの花崗岩でできたオベリスクを見ることができる。このオベリスクは1835年まで一対のものであったが、片方はパリに運ばれ、現在はコンコルド広場に立っている。 塔門は周柱式の中庭につながっているけれども、この中庭もラムセス3世が造ったものだ。この区画と塔門は神殿の残りの部分からすると斜めに建てられているが、これは北西の角にすでに存在した3つの船の霊廟に対応するためのものであったろうと考えられる。周柱式の中庭ができた後、アメンホテプ3世が造った14本のパピルス柱頭の柱が並ぶ100mの廊下が続いている。フリーズはヌト祭の場面を表しており、カルナック神殿の生贄が左上、アメンがルクソールに降臨するところが端に、帰還が反対の端に描かれている。装飾はツタンカーメンによって設置されたが、描かれた少年のファラオの名前はホルエムヘブの名前で上書きされている。 柱廊は周柱式になっているが、柱の中にはアメンホテプの時代に造られたものもある。もっとも保存状態のよいものは東側にあり、もともとの色の痕跡を見ることができる。この中庭の南側には36柱からなる多柱式の中庭があり、神殿の暗い内部屋へと続いている。
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