周柱式とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 周柱式の意味・解説 

ペリスタイル

(周柱式 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 03:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ポンペイのローマ様式のペリスタイルと中庭を復元したもの

ペリスタイル(peristyle)は、ギリシア建築[1]ローマ建築[2]における、のあるポーチ、または中庭を取り囲むコロネードで中央に庭園などがあるものを指す。"tetrastoon"(: Τετραστωον、4つのアーケード)とも呼ぶ。列柱郭とも。ローマ建築を受け継いだキリスト教の教会建築では、ローマの旧サン・ピエトロ大聖堂などのバシリカが、ペリスタイルで囲まれた前庭の背後にあって、表通りから隔てられていた。その後、ペリスタイルからクロイスター(回廊)へと発展していった。

ローマ建築でのペリスタイル

田舎では、裕福なローマ人はヴィラ (villa) を整備された庭園で囲んでいたが、都会のローマ人は庭園をドムス (domus) の中にこしらえた。特に広々とした中庭を peristȳlium と呼び、周囲を円柱や四角い柱と屋根のかかったポルチコで取り囲み、壁は精巧な風景やトロンプ・ルイユを描いた壁画で装飾していた。ポルチコまたは中庭に、守護神であるラレースを祀ったララリウムを設置することもあった。中庭には、草花、低木、噴水、ベンチ、彫刻、魚の泳ぐ池などもあった[3]。ローマ人は可能な限りペリスタイルに大きなスペースを割いた。北アフリカで特にペリスタイルが大規模化したが、ペリスタイルを大きくするためにポルチコを小さくすることもしばしばあった[4]

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1849-1917) の "In the Peristyle"。Rochdale Art Gallery, Rochdale, England.

ローマのドムスの終焉は、古典文化の終焉の印の一つでもあった。Simon P. Ellis は「ローマ様式のペリスタイルのある邸宅が見られなくなったことは、古代世界とその生活様式の終焉を意味する。ペリスタイルのある邸宅は紀元550年以降には建てられなくなった」と述べている[5]。5世紀以降、ペリスタイルが少なくなると同時に、宮殿のような建物は拡張され、豪華になっていった。これは権力と古典文化がごく一部の階級に集中していったことを意味し、有力者のバシリカや謁見室が公的な性格を帯びて拡張されていった。東ローマ帝国ではその終焉はもっと後のことである。Ellisによれば、東ローマ帝国で最後に新築されたペリスタイルのある邸宅はアルゴスの "House of the Falconer" で、床にあるモザイクの様式から530年から550年に建てられたものとされている[6]。既存の邸宅は多くの場合、より多くのあまり裕福でない人々が住めるよう改造され、キュレネの "House of Hesychius" に見られるように列柱やポルチコの柱に壁を設けて小さい部屋をたくさん作るなどした[7]

その他の用法

古代エジプトの建築はギリシアやローマよりも古いが、エジプトの宮殿建築の同じような部分もペリスタイルと呼ばれることがある。レバントのイワーン(リワーン)と呼ばれる、住宅に見られる類似の構造の玄関ホールも「ペリスタイル」と呼ぶことが多い。

関連項目

脚注・出典

  1. ^ J.A. Dickmann. "The peristyle and the transformation of domestic space in Hellenistic Pompeii", Journal of Roman Archeology 1997.
  2. ^ A. Frazer, "Modes of European Courtyard Design before the Medieval Cloister" Gesta, 1973; K.E. Meyer, "Axial peristyle houses in the western empire," Journal of Roman Archaeology, 1999; S. Hales, The Roman House and Social Identity 2003.
  3. ^ E.B. MacDougall, W.M.F. Jashemski, eds., Ancient Roman Gardens: Dumbarton Oaks Colloqium on the History of Landscape Architecture, 1979.
  4. ^ Yvon Thébert, "Private life and domestic architecture in Roman Africa", in Paul Veyne, ed. A History of Private Life, I:From Pagan Rome to Byzantium (1985, Arthur Goldhammer, tr., 1987) esp. "The peristyle", pp 357-64.
  5. ^ Simon P. Ellis, "The End of the Roman House" American Journal of Archaeology 92.4 (October 1988:565-576) 冒頭部分にこれらの言葉がある。
  6. ^ Ellis notes G. Akerström-Hougen, The Calendar and Hunting Mosaics of the Falconer in Argos, Stockholm, 1974; さらに後の6世紀のペロポネソスの Hermione でペリスタイルのある邸宅が建てられているが、これは既存の邸宅の改築である。(Ellis 1988:565).
  7. ^ Noted by Ellis p. 567.

外部リンク


「周柱式」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「周柱式」の関連用語

周柱式のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



周柱式のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのペリスタイル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS