ルクソール事件とは? わかりやすく解説

ルクソール事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 02:00 UTC 版)

事件現場となったハトシェプスト女王葬祭殿遺跡

ルクソール事件(ルクソールじけん)は、エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年イスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件である[1][2]。別名、エジプト外国人観光客襲撃事件[3]

この事件により日本人10名を含む外国人観光客58名と警察官2名を含むエジプト人4名の合わせて62名が死亡、85名が負傷した[3][4]。なお、犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された[4]

事件の背景

イスラム原理主義勢力は、1981年に当時のエジプトの指導者であったサダト大統領イスラエル国交を結んだ裏切り者として暗殺し、さらに1992年ごろからはエジプト国内で政府の役人や外国人観光客らを標的にしたテロを続発させていた[5]。観光客を標的にしたのはエジプトの重要な歳入源である観光収入をテロによって激減させ、経済に打撃を与え、それに伴う政府への不満をあおって政府を転覆させ、イスラム原理主義政権を樹立させるという企みからであった[6][7]

事実、観光客は激減したためエジプト政府は1995年から観光地の警備を強化し、武装原理主義者の大規模な取締りを行っていたが1997年9月18日にはカイロエジプト考古学博物館の前に止まっていた観光バスが襲撃され、ドイツ人観光客ら10名が死亡しエジプト人15名が負傷するというテロが起きた[2][4]。この事件の被疑者に対して10月30日に死刑が宣告されており、この裁判に報復する目的で1993年の世界貿易センタービル爆破事件の首謀者オマル・アブドッラフマーンが組織したイスラム原理主義テロ集団イスラム集団が計画したのが、ルクソールにおけるテロであった[4]

事件の概要

国籍 死者
 スイス 36
 日本 10
 イギリス 6
 ドイツ 4
 エジプト 4
 コロンビア 2
62

1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し、弾薬がなくなると短剣で襲ったという[1][5][8]。この襲撃で日本人(観光客9名、添乗員1名)を含む観光客62名が殺害された[2][5]

犯人らはタクシーを強奪し(犯人らは砂漠を徒歩で渡ってきて犯行に及んだため逃走手段がなかった)、さらには観光バスの運転手を脅迫して逃走しようとした[1][7]。しかし、収入の糧である観光客を殺傷した犯人を逃がすまいと怒った住民の一部と警官隊に行く手を阻まれ、犯人らはバスから降りて銃撃戦をしながら逃走したが、最終的には全員が射殺された[2][4][8]

事件の影響

外務省渡航情報として出していた「注意喚起」をルクソールを含む南エジプトに対する「観光旅行自粛勧告」に変更し、商用や人道活動目的以外の観光旅行などは安全が確認されるまでの間、差し控えるよう注意喚起した[9][10]

エジプトのムバーラク大統領は相次ぐテロに対する責任を負わせるため、治安担当の内務大臣を事実上更迭した。また、当局は更なる掃討作戦を実行したため、エジプトでは大規模なテロ事件の発生は、アラブの春まで沈静化した[11]


脚注

  1. ^ a b c バス襲撃:邦人女性ら10人以上死亡--エジプトの観光地」『毎日新聞毎日新聞社、1997年11月17日。オリジナルの2000年11月17日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  2. ^ a b c d バス襲撃:日本女性1人含め30人前後死亡--エジプト」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月17日。オリジナルの2000年11月17日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  3. ^ a b 外務報道官談話 エジプト・ルクソールでの観光客襲撃事件一周年について”. 外務省 (1998年11月17日). 2025年2月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e 観光客襲撃:邦人9人ら68人犠牲 無差別テロ--埃」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年12月19日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  5. ^ a b c エジプト発砲:日本人死者10人 襲撃過激派が犯行声明」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年12月19日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  6. ^ エジプト発砲:次の犯行を示唆か、イスラム組織が声明文を送付」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  7. ^ a b エジプト乱射:観光産業破壊狙う計画的犯行?混雑の時間帯狙う」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月19日。オリジナルの1999年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  8. ^ a b エジプト乱射テロ:子供守る母にも銃弾--目撃者証言」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年11月18日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  9. ^ エジプト発砲:外務省、「注意喚起」を「観光自粛勧告」に」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  10. ^ エジプト発砲:外務省が観光旅行の自粛を勧告」『毎日新聞』毎日新聞社、1997年11月18日。オリジナルの2000年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年8月24日閲覧。
  11. ^ エジプト外国人観光客襲撃事件:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2025年2月12日閲覧。

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