オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)の意味・解説 

オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 15:06 UTC 版)

オマル・アブドッラフマーン
عمر عبد الرحمن
生年 (1938-05-03) 1938年5月3日
生地  エジプトダカリーヤ県
没年 (2017-02-18) 2017年2月18日(78歳没)
没地 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州
思想 イスラム主義
活動 世界貿易センター爆破事件
ルクソール事件
所属 アルカーイダ
裁判 終身刑
信教 イスラム教
テンプレートを表示

オマル・アブドッラフマーンアラビア語: عمر عبد الرحمن‎、翻字:‘Umar ‘Abd ar-Raḥman、1938年5月3日 -2017年2月18日)は、エジプト出身のイスラム主義活動家、テロリスト

概要

イスラム集団(アル・ガマーア・アル・イスラーミーヤ)の精神的指導者で、世界貿易センター爆破事件ルクソール事件の首謀者として逮捕終身刑が宣告され、アメリカノースカロライナ州ローリーの北東70kmに位置するバトナーのメディカル・センターが付属している連邦政府矯正複合施設(FCC)に収監されていた。日本メディアではオマル・アブドルラフマンなどと表記される。

アブドッラフマーンには妻が2人おり子供を10人なした。そのうちの1人のアースィム・アブドッラフマーンは2001年以降、ウサーマ・ビン・ラーディンの最側近といわれ、ビン・ラーディン同様にターリバーンからアフガニスタン市民権を与えられた。アースィムはユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線の指導者の地位にいるとされる。

人物・生涯

オマル・アブドッラフマーンは、エジプトのダカリーヤ県に生まれ[1]、幼くして糖尿病から盲目になった[1]。幼児期からイブン・タイミーヤサラフィー主義サイイド・クトゥブのクトゥブ主義(Qutbism)に傾倒した。カイロアル=アズハル大学入学後は注目されるようになり、反体制であるとして投獄を経験する。

オマル・アブドッラフマーンは3年間、エジプトの獄中で過ごすが、この間、酷い拷問を受ける。その報復が、1981年のジハード団によるサダトエジプト大統領暗殺となった。アブドッラフマーンの関与は実証されなかったが、アブドッラフマーンは国外追放となり、アフガニスタンに向った。パキスタンペシャーワルでは師であるアブドゥッラー・アッザームがビン・ラーディンを従えて「マクタブ・アル=ヒダマト」(MAK)を組織していた。ここで、アブドッラフマーンはビン・ラーディンと緊密な関係を結んだ。MAKがアルカーイダに改組され、アブドゥッラー・アッザームが暗殺されると、アブドッラフマーンはアルカーイダの思想上の指導者となった。

1970年代にはエジプトの2つの主要なイスラム主義組織であるジハード団(EIJ)とイスラム集団(GI)の双方で頭角を表し、両者の接近が実現する。1980年代にはジハード団は、その後アルカーイダをビン・ラーディンとともに指導することになるアイマン・ザワーヒリーが率いていく。

1990年、アブドッラフマーンは、アル・カーイダのアメリカでの拠点構築と財政面での基盤作りのためにニューヨークに移った。アブドッラフマーンは旅行者用のビザでサウジアラビア、ペシャーワルやスーダン経由でニューヨークに入り、アメリカ・カナダで精力的に活動、ニューヨークでは3つのモスクで説教を行った。アメリカのイスラエル人極右メイル・カハネを暗殺したエル=サイード・ノサイルなどと交友を持った。エル=サイード・ノサイルらは、世界貿易センター爆破事件を引き起こす。ノサイルらにはビン=ラーディンから資金が提供されていた。この事件後、FBIは、アブドッラフマーンやノサイル周辺を捜査、アブドッラフマーンらが国連本部リンカーン・トンネルジョージ・ワシントン・ブリッジなど5箇所を同時に爆破する「ニューヨーク・ランドマーク同時爆破計画」を進めていることが発覚した。1993年、アブドッラフマーンや9人のテロリストはFBIに逮捕された。1995年10月1日に有罪宣告がなされ、1996年に終身刑が確定した[1]2017年2月18日にアメリカ・ノースカロライナ州の連邦刑務所の医療施設で自然死した[1]

脚注

  1. ^ a b c d “アブデルラーマン師死去=米貿易センター爆破で服役 (時事通信) - Yahoo!ニュース”. 時事通信. (2017年2月19日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170219-00000006-jij-n_ame 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)」の関連用語

オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オマル・アブドッラフマーン (テロリスト)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオマル・アブドッラフマーン (テロリスト) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS