ルクッルスのビテュニア・ポントゥス戦役(前74年 - 前71年)
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「第三次ミトリダテス戦争」の記事における「ルクッルスのビテュニア・ポントゥス戦役(前74年 - 前71年)」の解説
紀元前74年の春、ミトリダテス6世はアルメニア王国やボスポロス王国と同盟を結び、大軍を催してビテュニアに攻め込んだ。ビテュニア王ニコメデス4世はこの年に子供を残さず死亡、王国をローマに遺贈していた。ビテュニアの新たな支配者として着任した総督のコッタはカルケドンに立て篭もった。ミトリダテス6世はこの市を封鎖してビテュニアを制圧し、さらにアシア属州へ向かった。 ローマはグナエウス・ポンペイウスをヒスパニアに送り、アシア属州にはルキウス・リキニウス・ルクッルスを送り込んだ。ルクッルスは現地のものと合わせて5個軍団を中核とする軍を編成した。キュジコスの戦いは頑強なキュジコス市の守りと、補給線を遮断したルクッルスの作戦で、冬にはローマの勝利に終わった。ミトリダテス6世軍は退却中に大損害を出した。 その後、ローマはビテュニアの占領確保に、ポントスは軍の建て直しに時間をかけた。ルクッルスは紀元前71年に行動を起こしてポントスに攻め込み、ポントスのいくつかの都市を攻めた。迎撃に出たミトリダテス6世はカビラの戦いで敗れてアルメニアに亡命した。ルクッルスはそのままポントス各地に軍を進め、全土を占領した。この年には、セルトリウスの反乱と第三次奴隷戦争(スパルタクスの反乱)が鎮圧された。
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