ルクッルスのアルメニア戦役(前69年 - 前67年)
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「第三次ミトリダテス戦争」の記事における「ルクッルスのアルメニア戦役(前69年 - 前67年)」の解説
ルクッルスはアルメニアにミトリダテス6世の引き渡しを求めたが、ミトリダテス6世の婿に当たるアルメニア王ティグラネス2世は断った。ルクッルスはポントス平定が終わると、紀元前69年にアルメニアに侵入した。エウフラテス川を越えたルクッルスは、ティグラノセルタという町を攻めた。ティグラネス2世はアルメニア軍を率いて救援に出たが、ティグラノセルタの戦いで敗れた。ティグラノセルタはギリシャ人傭兵の内応で陥落した。 ティグラネス2世はパルティアに援軍を求める使者を遣わし、ルクッルスもパルティアに援軍をよこすかさもなくば中立でいるよう求める使者を出した。パルティアは双方に色よい返事をして静観した。ティグラネス2世はミトリダテス6世に歩兵を預け、自らは騎兵を率いてルクッルスと対峙した。両軍の対陣が長引いたので、ミトリダテス6世は自国に戻ってポントス奪回にとりかかった。紀元前67年にミトリダテス6世は陣頭指揮をとって会戦を挑み、2度にわたって勝利を得たが、2度とも自らの負傷のため追撃できなかった。 アルメニア戦役を略奪に頼って始めたルクッルスは、補給の困難を感じはじめた。ルクッルスは元老院に召還され、ローマ軍は引き上げ、ミトリダテス6世はポントスを回復した。
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