ネフェルタリとは? わかりやすく解説

ネフェルタリ

名前 Nefertari

ネフェルタリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 19:44 UTC 版)

ネフェルタリ/ ネフェルトイリ
Nefertari
第19王朝エジプト王妃
墓室の内壁に描かれた肖像

全名 ネフェルタリ・メリエンムト
出生 不明
死去 紀元前1255年頃
埋葬 QV66、王妃の谷テーベ
配偶者 ラムセス2世
子女 アメンヘルケペシュエフ
プレヒルウォンメフ
ヘヌトタアウィ
メリアトゥム
メリトアメン
メリラー
宗教 古代エジプトの宗教
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ネフェルタリ
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アブ・シンベル小神殿

アブ・シンベルの地において、女神ハトホルとネフェルタリ自身を称え記念して、アブ・シンベル神殿の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。しかし、小神殿中の三分の二以上はラムセス2世自身の壁画であり、主祭壇の下の壁画でもファラオ一人でハトホル女神の庇護を受けている。[3]

またネフェルタリは、アブ・シンベル小神殿(ハトホル神殿)にファラオと同じ大きさの像が築かれており、こういった構図は稀なものである。ただし、新王朝においては正妃の地位がより重要になったため、第18王朝では少なくとも二回の前例がある。 [4]

アメンホテプ3世の正妃ティイやアクエンアテンの正妃ネフェルティティにも夫と同じ大きさの像が存在する。また、この二人以外で、イアフメス1世の妹であり妃であるイアフメス=ネフェルタリトトメス2世の正妃であるハトシェプスト女王などが自身の神殿を所有している。特にティイ王妃のセディンガ神殿はアブ・シンベル小神殿の原型とされる。[4][5][6]

ファラオの妃たちは、石像や壁画などでも膝までの大きさで表現されるが、ラムセス2世と同じ大きさで築かれたネフェルタリの姿は、ラムセス2世にとって彼女がいかに重要であったかを示しているとされる。ネフェルタリの死を受けたためか、アブ・シンベル小神殿は完成しなかった。 アブ・シンベル大神殿やルクソール神殿など、他の場所ではネフェルタリは伝統的な例に従って、夫の足もとに立つ姿で描かれている。

ネフェルタリは少なくとも4人の息子と2人の娘、第一王子アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)、第三王子プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)、第十一王子メリラー(Meryre)、第十六王子メリアトゥム(Meryatum)、第四王女メリトアメン(Meritamen)、第七王女へヌトタアウィ(Henuttawy)をラムセスとの間にもうけたが、彼らは誰一人として王位を継ぐことはなかった。ラムセスの後継者となったのはイシスネフェルト1世王妃との子メルエンプタハであった。

ラムセス2世の妃たち

ネフェルタリはラムセス2世の即位前、彼が15歳の王子であったときに結婚したが、ラムセスの妃のなかでも、上エジプトにおいてもっとも重要な妃の地位にあったと考えられている。

アブ・シンベル小神殿の柱に、彼女について言及した碑文が残されている。:

偉大なる王の妻、ネフェルタリ・メリトエンムト。太陽は彼女のために輝く、そして彼女に生命と愛を与えた。」

ただし下エジプトにおいては、未だその墓所が明らかでないイシスネフェルト1世が、もっとも重要なラムセスの妃であったと考えられている。彼女は少なくとも3人の王子、2人の娘を産んだ。彼女の出自や、正妃としての在位期間、他の情報は一切不明である。

ラムセス2世即位22年、イシスネフェルトの娘ビントアナトが父の正妃となった。前後してネフェルタリ、メリトアメン 、ネベイタウェイ、ヘヌトミラー、マートネフェルラ一と権力を分かち合う。父ラムセス2世との間に名前不詳の娘がいる 。

ラムセス2世即位25年、ネフェルタリ死後、彼女の娘メリトアメンも正妃となった。ビント・アナトとメリトアメン、この2人の異母姉妹はそれぞれ宮廷で重要な役割を果たし、ラムセス2世が最も可愛いがったとされる王女達でもある。

メリトアメン死後、イシスネフェルトのもう一人の娘ネベイタウェイとラムセス2世の妹、ヘヌトミラーが前後して正妃になった。

1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発掘される。第19王朝、新王国時代のもので、装飾の美しさで知られている。階段を下りると大きな入り口があり、その先には一玄室、横に副室がある。さらに下へと降りると、主玄室があり、四本の柱と三つの付属貯蔵室が飾りになっている。

参考文献

  • シリオッティ(Siliotti, A.)『 Egypt: Splendours of an Ancient Civilisation(エジプト:古代文明の光輝)』 (2002年) イタリア:Thames & Hudson.
  • ブラッドリー(Bradley, P.)『 Ancient Egypt: Reconstructing the Past(古代エジプト:過去の再構築)』 (1999年) 連合王国:Cambridge.

脚注

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネフェルタリ」の意味・わかりやすい解説 『ネフェルタリ』 コトバンク
  2. ^ John K. McDonald 『House of Eternity: The Tomb of Nefertari(永遠の屋:ネフェルタリの墓(1996年)』
  3. ^ Nigel Flecher-JonesNigel『 Abu Simbel and the Nubian Temples(アブ・シンベルとヌビア神殿)』 (2020年) イタリア: The American University in Cairo Press
  4. ^ a b ジョアン=フリーチ(Joann Fletcher)『 The Story of Egypt: The Civilization That Shaped the World(エジプトの物語:世界を形作っていた文明)』 (2016年) イタリア:Pegasus Books
  5. ^ 『 Egypt's Dazzling Sun: Amenhotep III and his World(エジプトの太阳:アメンホテプ3世と彼の世界)』 (1998年) イタリア:Bryan
  6. ^ O'Connor & Cline 1998, p. 6-7.

外部リンク

OSIRISNET - NEFERTARI QV66(英語)

Queen Nefertari Meryetmut (英語)

Queen Nefertari, the Royal Spouse of Pharaoh Ramses II: A Multidisciplinary Investigation of the Mummified Remains Found in Her Tomb (QV66)ネフェルタリ王妃、ラムセス2世の配偶者:彼女の墓で発見されたミイラ化した遺体の学際的調査(英語)

関連項目


ネフェルタリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:45 UTC 版)

ラムセス2世」の記事における「ネフェルタリ」の解説

ラムセス2世最初正妃であり、「世襲貴族女性Hereditary noblewoman)」や「神后(God's Wife)」の称号持ち数多いる妃の中で最も有名な妻である。ラムセス2世即位前にネフェルタリと結婚した。彼女は「王の娘」の称号持っていないので、王族出身ではなくエジプト貴族一員であったらしいということ除いて不明である。また考古学者のティルディスレイはネフェルタリの墓で発見された球飾り装飾前王朝のファラオであるアイカルトゥーシュ用いられていることを根拠に彼女がアイ孫娘だったのではないかという説を唱えている。長男アメンヘルケブシェフ生まれると、彼女は最初正妃になった。彼女の記録壁画上エジプト(旧首都テーベまたアブ・ジンベル神殿所在地ヌビアなど古代エジプトナイル川上流地区)のみに残っているため、上エジプト王妃代表するものと推測されるラムセス2世はアブ・ジンベル大神殿の隣にネフェルタリと女神ハトホルのための小神殿建立した。彼女の正妃としての在位期間25年ほどであるが、在位24年行事出席した記録最後である。その後在位30年行事に彼女の記録がないことから、その5年間亡くなったものとされる。ネフェルタリの墓(QV66)は王妃の谷の中で最も壁画の状態が良く、最も鮮烈美しい墓である。また、彼女は高度な教育受けており、王や書記官にのみ許され聖刻文字読み書き出来た。ネフェルタリの死後、彼女の娘であるメリトアメン正妃となった

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