イシスネフェルト1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 03:45 UTC 版)
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イシスネフェルト1世(Iset-neferet) | |||||||||||||||||
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ファラオ ラムセス2世の正妃(偉大なる王の妻) | |||||||||||||||||
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壁画上部:イシスネフェルト1世と家族
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ヒエログリフ |
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王朝の系図
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イシスネフェルト1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:45 UTC 版)
「ラムセス2世」の記事における「イシスネフェルト1世」の解説
出自は不明。王族や貴族の称号を両方とも持っていないので、軍人の娘、下エジプト貴族の娘、18王朝ファラオホルエムヘブの親族更に平民出身など諸説ある。ネフェルタリに対して、彼女は下エジプト(大都市メンフィスやヘリオポリス、また新首都ペル·ラムセスなど古代エジプトナイル川下流地区)を代表する王妃と推測される。ラムセス2世は即位前に彼女を迎えた。彼女はラムセス2世最初の妃の一人であり、第一王女/正妃ビントアナト、第五王女/正妃ネベイタウェイ、王太子ラムセス、王太子/プタハの最高祭カエムワセトとファラオメルエンプタハの母であり、存在が極めて伝説的な妃。彼女が正妃になった時期は不明である。ネフェルタリの死後、彼女が正妃となった可能性があると言われているが、ネフェルタリとともに立后し、ネフェルタリよりも先に亡くなったとする説もある。イシスネフェルト1世の墓所は未だ明らかでないが、ある金庫保管員墓所中の葬品に彼女の墓所の場所について、暗号らしき物が残っている。この葬品には「王国至高の支配者の側(Near the First Commander of All Land)」「天水の下(From end of water of sky)」記載されているので、彼女の墓所が国王の谷に、息子メルエンプタハや夫ラムセス2世の墓所(KV8とKV7)周辺である可能性が高い(ただし、ほかにはサッカラ地区や王妃の谷近くなど諸説ある)。
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