立后とは? わかりやすく解説

りっ‐こう【立后】

読み方:りっこう

三后皇后・皇太后・太皇太后)を正式に定めること。きさきだち


立后

読み方:リッコウ(rikkou)

皇后の位につくこと。

別名 皇后冊立


皇后

(立后 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 02:40 UTC 版)

皇后(こうごう、: Empress)、王后(おうごう、: Queen)は、皇帝天皇国王の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号[1][2]




「皇后」の続きの解説一覧

立后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:36 UTC 版)

姝子内親王」の記事における「立后」の解説

7月2日鳥羽法皇崩御する直後起こった保元の乱崇徳上皇配流となり、後白河帝守仁親王体制確立した信西政治主導権握り保元新制記録所設置内裏再建などの国政改革推進する保元2年1157年正月23日姝子内親王准三宮となり、10月8日再建され大内裏後白河帝守仁親王・忻子・統子内親王とともに移った保元3年1158年2月3日後白河帝統子内親王准母立后行って政治基盤強化務めるが、8月11日に突然、守仁親王譲位する二条天皇)。これは「仏と仏との評定」(『兵範記保元3年8月4日条)によるもので、美福門院信西強く要求して実現したものであった。ここに後白河院政派二条親政派が形成される。ただし、二条帝はいまだ16歳政治未熟であり、後白河院政治活動引き続き認められたため、当初から両派の間に確執があったわけではなかった。 姝子内親王婚姻後も統子内親王三条高倉邸を訪れ後白河院譲位した直後宇治御幸にも後白河院統子内親王同行した平治元年1159年2月3日後白河院御所高松殿に行啓し、21日に立后して中宮冊立される(『山槐記』)。後白河院二条帝実の親子でありながら疎遠な関係にあり、後白河院は姝子と緊密な関係を築くことで影響力確保目指したと考えられる二条帝も姝子の背後に父の影を感じていたと思われるが、表面上は何事もなく年も暮れようとしていた。 平治元年1159年12月9日平治の乱勃発する25日夜、二条帝姝子内親王藤原信頼源義朝占拠していた大内裏脱出して平清盛六波羅邸に遷幸した。翌26日に乱は鎮圧される大内裏荒廃のため、29日二条帝清盛警護により美福門院八条殿行幸する(『百錬抄』)。戦乱からの復興と体制の立て直しが緊急の課題であったが、翌永暦元年1160年)から後白河院政派二条親政派の亀裂徐々に拡大していくことになる。

※この「立后」の解説は、「姝子内親王」の解説の一部です。
「立后」を含む「姝子内親王」の記事については、「姝子内親王」の概要を参照ください。


立后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)

香淳皇后」の記事における「立后」の解説

1926年大正15年12月25日義父大正天皇崩御により、義母皇后節子皇太后となり、摂政宮皇太子裕仁親王第124代天皇践祚に伴い立后された。午前3時15分、宮中掌典長祭典を行うとともに葉山御用邸剣璽等渡御の儀が執り行われた。裕仁親王妃良子女王は第119天皇光格天皇皇后中宮)である欣子内親王在位1794年 - 1820年以来の「皇族出身皇后となった昭和時代新天皇・皇后洋風暮らし慣れ、また良子皇后がすでに第2子懐妊していたこともあり、引き続き赤坂離宮居住し続けた1927年昭和2年9月10日第二皇女第2子)の久宮祐子内親王出産するも、翌1928年昭和3年)に敗血症のため夭逝香淳皇后は自ら死化粧施し昭和天皇も禁を破り通夜出席した皇后悲しみから、久宮と同じ大きさ人形を作らせた。 同年9月28日昭和天皇香淳皇后那須での静養後、いよいよ宮城きゅうじょう、(皇居当時呼称)に住居移転する夫妻慣例破って寝室同室とした。 同年11月10日即位の大礼京都御所執り行われた。なお、この際京都府三重県奈良県行啓して以降御用邸での静養除き地方視察することは長年にわたり無かった。 翌1929年昭和4年1月27日静岡県熱海市療養中の父久邇宮邦彦王容体急変し良子皇后お召し列車ではなく通常の列車熱海別邸向かい、その臨終立ち会った55歳没)。 ローブ・デコルテ第一ティアラ勲一等宝冠章(現:宝冠大綬章)を佩用した正装姿(1928年撮影

※この「立后」の解説は、「香淳皇后」の解説の一部です。
「立后」を含む「香淳皇后」の記事については、「香淳皇后」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「立后」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「立后」の関連用語

1
100% |||||


3
デジタル大辞泉
70% |||||

4
威儀の女房 デジタル大辞泉
52% |||||



7
36% |||||

8
デジタル大辞泉
36% |||||

9
宮始め デジタル大辞泉
36% |||||

10
皇室会議 デジタル大辞泉
36% |||||

立后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



立后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの姝子内親王 (改訂履歴)、香淳皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS