立命の反転攻勢(2002-2005)
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「関立戦」の記事における「立命の反転攻勢(2002-2005)」の解説
2002年 第7節 立命48-14関学 阪急西宮スタジアム 1997年の関学同様、立命は甲子園ボウルから3年間遠ざかっていた。春に平井英嗣監督が退任し総監督に就任。チームの指揮は古橋由一郎ヘッドコーチに委ねられた。2000年から導入したショットガン攻撃も3年目を迎え、QB高田を中心としたパス攻撃の精度・破壊力は飛躍的に向上した。秋季リーグ戦序盤から立命は大勝を続ける一方、石田力哉、榊原一生等の主力が卒業した関学は第5節の近大戦で残り1秒から逆転負けを喫し、京大戦にも辛勝して阪急西宮スタジアムでのリーグ戦の最終試合となった第7節の関立戦を迎えた。試合は序盤から立命の攻撃が関学守備を圧倒。高田からFL木下典明への91ヤードTDパスを皮切りに、WR冷水哲、RB磯谷幸始らが次々とTDパスをレシーブ。途中高田が負傷退場するが、代わったQB椙田圭輔も変わらないパフォーマンスを披露した。なお、関学の48失点は創部以来のリーグ戦における最多失点、得点差34点も同様にリーグ戦最多得点差という記録的な大敗であった(甲子園ボウルでは1978年に日大に63失点、56点差で敗戦している)。この年立命は甲子園ボウル・ライスボウルを制覇し、前年の関学に続き日本一に輝いた。 2003年 第7節 立命24-21関学 大阪市長居陸上競技場※ 前年の主力の多くが残る立命は開幕前から優勝候補筆頭と目され、京大戦に完封勝利、近大戦も圧勝し第6節で優勝を決め、最終節の関立戦に引き分け以上で甲子園ボウル出場が決定する状況となった。関学は2001年のメンバーがほぼ卒業し、夏合宿中にLB平郡雷太を失う等苦しいシーズンを送り第2節の関大戦に敗戦、第6節の関京戦にも敗れ優勝の目が完全に消え、第7節の関立戦を迎えた。下馬評は圧倒的に立命有利であったが、関学は1Qに前節まで控えであったQB河野順率いる攻撃が2本のTDを奪い試合の主導権を握り、21-10で前半を終了する。立命はラン攻撃を封じられ、病み上がりであったWR木下典明が関学DB渡辺に競り負けインターセプトされるなど攻撃のリズムが乱れるが、4Qに入りQB高田からWR長谷川へのTDパス、WR冷水への2PTコンバージョンパスが決まり同点に追いつき、K岸野が残り1秒からFGを決めて立命が逆転勝利した。立命はこの後甲子園ボウル・ライスボウルも完勝して2年連続日本一となったが、立命にとって関立戦は2003年秋季における最多失点、最小失点差での勝利であり、最も厳しい戦いであった。 2004年 第5節 関学30-28立命 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 2004年プレーオフ 立命24-21関学(OT) 大阪市長居陸上競技場 立命は高田鉄男、冷水哲、DL平井基之、LB八木康太等の前年の主力が卒業し、関学はQB河野順を中心としたラン中心のショットガン攻撃が定着し、互角の勝負が予想された。第5節に全勝対決が実現した関立戦は実質上の優勝決定戦であった。点の獲り合いとなった試合はQB河野のラン・パスにわたる大活躍で関学が主導権を握った。立命はWR木下典明をQBに起用する奇策を用いたが不発。立命は関学攻撃を最後まで止めきれず、試合終了間際ファンブルロストから掴んだチャンスも主将K岸野のFGが失敗し、30-28で関学が総力戦を制した。関立戦を制した関学の3年ぶりの甲子園ボウル出場は確実と思われたが、第6節の関京戦で関学がまさかの逆転負けを喫し、立命が近大・京大に連勝したため、6年振りの両校優勝、プレーオフに突入した。第5節の関立戦同様雨の降る長居陸上競技場で行われたプレーオフは、最初のシリーズにQB河野の独走TDで先制し関学が主導権を握った。立命は雨でパス攻撃が思うようにいかず苦戦するが、QB池野からWR木下へ2本のTDパスが決まり同点に追いつく。試合後半はこう着状態が続き、そのままオーバータイムへ。3度目のタイブレイクで関学K小笠原がFGを外し、立命が24-21で雨中の激闘を制した。 2005年 第7節 立命17-15関学 西京極陸上競技場 関学、立命ともに順調にシーズンを消化し、リーグ優勝を賭けた初の最終節全勝対決での関立戦が実現し、超満員の22,000人の観客が西京極陸上競技場に集まった。試合は、序盤のインターセプトの応酬から立命が徐々にペースを掴み、負傷退場したQB池野の代役QB渋井が冷静に攻撃を指揮しRB佃のTDで先制する。関学は3QにTDを挙げ1点差に迫るが、逆転を狙った2PTコンバージョンが失敗。その後、立命が1回生RB松森のランで敵陣に侵入し渋井からWR阿南へのTDパスで突き放すが、関学も4Q残り17秒でRB辻野のTDで2点差に迫る。プレーオフに望みを託し、2PTコンバージョンを再び選択するが、QB出原のランプレーは1ヤード届かず、立命が勝利した。立命は4年連続のリーグ制覇、甲子園ボウル出場を決め、関学は創部以来初めて4回生が甲子園ボウルに1度も出場出来ずに卒業する事態になった。試合後の表彰式では、3月まで立命総監督であった関西学生アメリカンフットボール連盟理事長平井英嗣から立命主将塚田に優勝トロフィーが渡された。なお、この試合の関学サイドの舞台裏は後日NHKのサンデースポーツで紹介された。 ※得点表記においてこの字体で書かれているチームがホームチームであることを表す。2004年のプレーオフは中立地開催(関学がメインスタンド、立命がカラーユニフォームを選択)。
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