最初のシリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 07:00 UTC 版)
1882年、スミス・エルダー&カンパニーの出版業者、ジョージ・スミス(英語版)は、世界史上の有名人に関する伝記的記事を含めた百科事典の制作を企画した。これは、『アルゲマイネ・ドイチェ・ビオグラフィー(ドイツ語版、英語版)』(1875年)など、ヨーロッパ諸国で発行された、自国の人物を扱う伝記集に触発されたものである。スミスは、当時自社で発行していた雑誌『コーンヒル・マガジン(英語版)』の編集者、レズリー・スティーヴンに企画を持ちかけ、編纂に携わってほしいと依頼した。スティーヴンは事典の内容について、英国とその植民地・元植民地のみに焦点を当てた物にすべきだとスミスを説得した。当初の書題は『バイオグラフィア・ブリタニカ(英語版)』(英: Biographia Britannica)で、これは18世紀初頭に書かれた別の辞典のタイトルを引用したものである。『英国人名事典』(英: Dictionary of National Biography)の第1巻は、1885年1月1日に発行された。1891年5月、スティーヴンは編集者を辞任し、代わりに、計画当初からスティーヴンの元で副編集者として働いていた、シドニー・リーが編集者の役を引き継いだ。スティーヴンやリーの元では、編集助手や調査人たちのチームが尽力したが、このチームはベテランジャーナリストから、英国大学院での歴史研究が始まったばかりだった当時において、辞書編纂で学術研究の一歩を踏み出した若い学者まで、様々な才能の粋が集められた集団だった。この時代、事典のほとんどは内々に書かれていたが、『英国人名事典』は外部の編集者を活用し、その中には評判の高い作家や学者も含まれていた。1900年までには、700人以上の編集者がこの事典の編纂に携わった。続刊は1900年の真夏まで、几帳面に年4回季刊で発行され、最終的には63巻、収録人数29,120人あまりを数えるに至った。なお発行年や編集責任者、各巻に収録された人名については後述する。
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