最初のゲイ・マーチの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 07:53 UTC 版)
「ゲイ・プライド」の記事における「最初のゲイ・マーチの経緯」の解説
1969年11月にクレイグ・ロッドウェル(英語版)はフィラデルフィアで行われた「East Coast Homophile Organizations」(ERCHO、同性愛者団体の東地域会議)のミーティングにおいて、仲間のフレッド・サージェントらとともに、ニューヨークで最初のゲイ・プライド・パレードを行うことを提案した。提案に際してそれまで行われてきたピケ「アニュアル・リマインダー(英語版)」よりも意義深く、より参加人数を増やし、時間と場所が反乱との関係がより深くなるよう選び、基本的な人権を求めるアイデアが盛り込まれ、「Christopher Street Liberation Day」(クリストファー・ストリート解放記念日)として毎年7月最後の土曜日にニューヨークでデモを行う提案となった。クリストファー・ストリートは事件の現場となった通りの名前に由来し、このデモには服装の規定や年齢制限は設けられなかった。また、国中の同性愛者運動団体に連絡を取り、同日に各地で並行してデモ開催の働きかけを行い、全国規模の支持表明を得る提案もなされた。 ERCHOの会議に参加した団体は棄権した一つを除き、マーチの実施の評決に賛成票を入れた。マーチ実行の会議は翌年1月の初旬から始まったが、「GAA」のようなニューヨークの有力組織との調整は難航した。ロッドウェルと仲間のグループはイベントのコアグループ「CSLD Umbrella Committee」(CSLDUC)を作り上げた。最初の財源として、全国の同性愛者団体やスポンサーから寄付を集めたり、ロッドウェルが設立したオスカー・ワイルド書店(英語版)の顧客簿を通じて寄付を募ったり、「GLF」から財政支援受けたりした。多くの支援により、CSLDUCは1970年7月最後の日曜日である28日に最初のマーチの開催を決めた。1970年4月にはそれまでマーチに反対を唱えていた同性愛者団体「Mattachine」の代表が交代し、この団体の反対は無くなった。この最初のマーチがLGBTプライドのイベントとして規模が広がり、今日では世界中でみられるようになった。ニューヨークとアトランタで毎年開催されるストーンウォールの反乱記念のイベントは「Gay Liberation Day」と名付けられ、サンフランシスコとロサンジェルスでは「Gay Freedom Day」と呼ばれている。後年になり様々な都市でイベントが開かれるようになり、両方の名前が広まっている。
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