アメンヘルケペシュエフ
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アメンヘルケペシュエフ Amenherkhepeshef |
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王太子 | |
続柄 | ラムセス2世第1王子 |
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全名 | Amenherkhepeshef 翻字:imn-hr-xpS.f 翻訳:Amen is with his strong arm |
称号 | 王太子, 軍の指揮官, 王の腹心, 王の書記, Fan-bearer on the Right Side of the King[訳語疑問点] |
出生 | 不詳 |
死去 | 不詳 |
配偶者 | ネフェルタリ(ラムセス2世の三女、母親とは別人) |
子女 | セティー |
父親 | ラムセス2世 |
母親 | ネフェルタリ |
アメンヘルケペシュエフまたはアメンヘルケプシェフ[1](翻字: imn-hr-xpS=f, エジプト語英語化: Amenherkhepeshef, Amenhirkhopshef[2]、生没年不詳)とは、古代エジプトのファラオ、ラムセス2世の第一王子。彼の姿を描いた壁画が残っている。
概要
アメンヘルケペシュエフはラムセス2世とネフェルタリとの間に長男として誕生した。誕生して間もなくネフェルタリは王妃とされている後に、同母兄弟には、プレヒルウォンメフ、へヌタウェイ、メルトアトゥム、メリトアメン、メリラーらが生まれる。
ファラオの次に栄誉的な称号であった「王太子(Pharaoh's Prince)」の称号を持っていた。 死後は、栄誉ある壮観な墓室に葬られたという。墓で見つかった遺物の中には、アメンヘルケペシュエフの名前が付けられた臓器が入っているカノプス壺があり、またメイスによる打撲痕であると考えられている、深い骨折のある頭蓋骨を含む4人の男性の骨もあった。
脚注
- ^ 松本 1998, p. 248.
- ^ Clayton 1994, p. 146.
アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef)
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「ラムセス2世」の記事における「アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef)」の解説
第一王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。最初の王太子。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。「軍隊の指揮官(Commander of the Troops)」、「有効な親友(Effective Confidant)」、「王の長男(Eldest Son of the King of his Body)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ傍ら、「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」や「王家の書記官(Royal Scribe)」等王の側近が持つ称号を他の王子と共有していたようだと言われている。このような彼の称号は、彼が軍で高い地位を占めていた事を示しており、また外交官としてラムセス2世の治世21年のヒッタイトとの平和条約締結後の外交関係に関与している。治世21年ほどにセティヘルケブシェフ(Sethhirkhepeshef)に改名したらしいとされる。治世25年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
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