明治時代の理髪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:50 UTC 版)
日本においては、髪結床として女性の髪結や男性の丁髷(ちょんまげ)などを結ってきたが、明治4年8月9日に発布されたいわゆる「散髪脱刀令(断髪令)」より「近代理容業」として生まれ変わる。この明治期には、男子が西洋風の短髪にすることを散髪、伝統的な髷型にすることを結髪といい、特に西洋風の髪型については理髪商へ赴いて髪型を整えた。理髪商の名称は元服の折の理髪に由来しており、明治末には理髪業がみえ、理髪所や理髪店、理髪師の呼称も一般化した。女子の場合は、明治期以前より幼少と長じての髪型が各数種あり、嫁して後の髪型として、丸髷(まるまげ)・片外(かたはずし)に櫛・かんざしを飾ることが一般的であった。同時代の女学校では、修身や招待客への礼法とともに、家政科の理髪では伝統的に手技のひとつとされた女子自ら髷を結う手法を教えていた。1900年(明治33年)頃の理髪師は、理髪店の見習い等からはじめて職人となり、理髪師は徒弟制度または年季奉公等を経て道具を揃え、約5年で開業することが一般的であった。また、開業資金のためにその後も他店で働き、贔屓のお客を得て独立する者もいた。 1957年主に女性客のために理容師法から美容師法が独立する。現在においても美容師法は『美容とは「パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすること」とされている。美容師がコールドパーマネントウェーブ等の行為に伴う美容行為の一環としてカッティングを行うことは美容の範囲に含まれる。また、女性に対するカッティングはコールドパーマネントウェーブ等の行為との関連を問わず、美容行為の範囲に含まれる。』となっており、カットを含め、化粧・マニキュア・ヘアーエクステンションなど女性のための業となっている。 ただ、時代の流れにより実際は美容所でも男性のカットをしている店も多い。厳密に言うと、男性にコールドパーマネントウェーブを行うこと、およびそれに付随して髪のカッティングを行うことは認められるが、男性に対しカッティングのみを行うことはできない、という見解が厚生省から出されている。一方、女性に関しては、コールドパーマネントウェーブに付随せず、カッティングのみを行うことは認められている。2015年7月17日に厚労省から新たな通知が出され、性別に関係なく理容師のコールドパーマネントウェーブと美容師のカッティングが認められた。
※この「明治時代の理髪」の解説は、「美容師」の解説の一部です。
「明治時代の理髪」を含む「美容師」の記事については、「美容師」の概要を参照ください。
- 明治時代の理髪のページへのリンク