宮武外骨とは? わかりやすく解説

みやたけ‐がいこつ〔‐グワイコツ〕【宮武外骨】

読み方:みやたけがいこつ

[1867〜1955]ジャーナリスト文化史家香川生まれ本名、亀四郎大阪で「滑稽新聞」を発行風俗史・政治裏面史多数著作残した東大明治新聞雑誌文庫主任として同文庫の充実尽力。著「筆禍史」など。


宮武外骨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 12:57 UTC 版)

宮武 外骨(みやたけ がいこつ、1867年2月22日慶応3年1月18日〉 - 1955年昭和30年〉7月28日)は、日本ジャーナリスト新聞記者編集者)、著作家、新聞史研究家、明治期の世相風俗研究家。


  1. ^ 宮武外骨は穢多の子孫(筆禍史の自跋) 自著『つむじまがり』 (山添平作, 1917), p94-98
  2. ^ 吉野孝雄『過激にして愛嬌あり「滑稽新聞」と宮武外骨』 p.31
  3. ^ zh:s:康熙字典/龜部/龜部
  4. ^ 発売禁止に現れた出版界の傾向(二)『東京朝日新聞』昭和2年12月29日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p276 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 『滑稽新聞』明治37年(1904年)2月15日号(通巻66号)「ニコライ教堂を破壊すべし」 p3
  6. ^ 『滑稽新聞』明治37年(1904年)2月15日号(通巻66号)「露犬とニコライ」 p17
  7. ^ 一癖随筆”. 産業技術史資料データベース. 国立科学博物館. 2020年1月17日閲覧。
  8. ^ 前述にもあるように、父は庄屋であり実際は被差別部落の出身者ではないことをも『つむじまがり』で明かしている。部落差別に抗議する意味で部落民でないのに部落民を自称した点は、中江兆民と軌を一にしている。
  9. ^ 滑稽新聞』第172号、1908年10月5日
  10. ^ 『宮武外骨著作集』第8巻(河出書房新社)解説「宮武外骨と『穢多』の語」(師岡佑行
  11. ^ この頃の雑誌発行は競合誌と発行を競うあまり発売予定日よりも早刊となる傾向があった事から「早刊も延刊も不都合にあらず」と誌面で自らを棚に上げて他誌を皮肉る事もあった。
  12. ^ たまたま花見の時に外骨は人を介して野口に面会させられた。野口が「あれは最初私が悪かッたのです」と謝罪したこと、『滑稽新聞』がインチキ医薬品と批判した「肺勞散」の発売を停止しその旨新聞各紙に告知するという外骨の条件を野口が容れたことから、『滑稽新聞』通巻100号を以て野口批判は終了した。ただし、顧問弁護士には妥協してはいかんと叱られたとのこと。外骨は普段他人の招待に応じず、訪問もしないのは一度顔見知りになれば人情として批判記事を書きにくくなるからだと述懐し、野口と面会させられたことでさらにこの感を深くしたという(『滑稽新聞』98〜99号)。
  13. ^ 申込1口1円で年月日の的中者には1万円、年月の的中者には1000円、年の的中者には100円を抽選で1名に贈るとあった。
  14. ^ 『滑稽新聞』明治37年(1904年2月15日号(通巻66号)では日露戦争に際して、「津田三蔵を特別赦免すべし」と題し、「(津田の)動機は熱誠の愛國心である、現今我政府我國民一般が露國に対する感情と同一である」(下線は原文傍点)と主張した。ただし、津田は1891年に既に死去しており、ここでの赦免とは名誉回復という意味合いである。『滑稽新聞』2月25日号(通巻67号)では、読者の指摘に対して「(西南戦争国賊とされた)西郷隆盛と同様に、死後の特赦を奏請すべしと論じたのだ」と回答している。
  15. ^ いずれも外国要人を襲撃した日本人である。ただし、いずれも被害者は一命を取り留めている。
  16. ^ 特別高等係編『特別要視察人名簿』…「系統別調査表」(大正十年十二月現在)
  17. ^ 近代日本法政史料センター
  18. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)315頁
  19. ^ a b 宮武南海君『京浜実業家名鑑』遠山景澄、 京浜実業新報社、明40.12
  20. ^ 日露戦争以前の主要工場(開設年別)明治三四・一二・三一現在の稼動工場 新修港区史第一編第六章 近代第二節 明治後期の港区(二) 近代工業の形成と特殊産業の発展(1)企業の勃興と芝浦工業地帯の形成
  21. ^ 東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』(東京學舘獨修部、1893)
  22. ^ 日動火災海上保険(株)『日動火災海上保険株式会社四十年史』(1954.01)
  23. ^ 報告 1:李昱(関西学院大学)中華人民共和国初期における留学生派遣――国策と個人日本現代中国学会、2015
  24. ^ a b c d e 『宮武外骨』吉野孝雄、吉川弘文館 (2000/05)、p154
  25. ^ a b c d 華族醜聞細川家事件 : 一名・幽斎血の涙. 第1編横田甲子三郎 編 (横田甲子三郎, 1894)


「宮武外骨」の続きの解説一覧

宮武外骨(みやたけ がいこつ,1867-1955)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:49 UTC 版)

「うま味」を発見した男」の記事における「宮武外骨(みやたけ がいこつ,1867-1955)」の解説

慶応3年讃岐国阿野郡小野村庄屋宮武家の四男として生まれる。明治14年上京17歳時に幼名の亀四郎の亀が「外骨内肉」の動物であることに因み戸籍上の本名を「外骨」に改める。反骨精神富んだ新聞や雑誌刊行し政治権力批判行ったため、たびたび発禁差し止め処分受けた大正11年、宮武外骨が主催する雑誌一癖随筆 第2号』に、「『味の素』は青大将」と題する記事載せ、その反響大きさに味をしめた外骨は、さらに雑誌スコブル』に「面白懸賞」と題して鈴木商店騙った偽のパロディ広告掲載し当時人気の『味の素』を皮肉った

※この「宮武外骨(みやたけ がいこつ,1867-1955)」の解説は、「「うま味」を発見した男」の解説の一部です。
「宮武外骨(みやたけ がいこつ,1867-1955)」を含む「「うま味」を発見した男」の記事については、「「うま味」を発見した男」の概要を参照ください。


宮武外骨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 10:16 UTC 版)

神秘家列伝」の記事における「宮武外骨」の解説

1999年、「怪」第七号 「宮武外骨」は政治権力風刺批判した多く新聞・雑誌発行し幾度も罰金発禁処分を受ける。明治22年には『頓智協会雑誌』で大日本帝国憲法発布風刺天皇骸骨見立てた事が不敬罪問われ3年入獄する。その後筆禍2度入獄するが、やがて外骨は生涯最大遺産とも言うべき「明治新聞雑誌文庫」の設立没頭し始める。

※この「宮武外骨」の解説は、「神秘家列伝」の解説の一部です。
「宮武外骨」を含む「神秘家列伝」の記事については、「神秘家列伝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宮武外骨」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



宮武外骨と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮武外骨」の関連用語

宮武外骨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮武外骨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮武外骨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの「うま味」を発見した男 (改訂履歴)、神秘家列伝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS