服部誠一とは? わかりやすく解説

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服部誠一 はっとり せいいち

服部誠一の肖像 その1
天保12年2月15日明治41年8月15日 (1841~1908)

福島生まれ。文学者。二本松藩儒官長男藩校学館学び、のち江戸聖堂に入る。その後故郷戻り藩校教授となる。維新後、藩の公用人として再び東京に出るが、廃藩により失職以後著述を業とした。漢文長じ明治初年以来、『東京新誌』(1876)『吾妻新誌』(1883)などを発行した。特に、7年(1874)に発表した東京繁昌記』は大い売れ名声あがった29年(1896)宮城県中学校漢文教師招かれ12年在職した

キーワード 文学者, ジャーナリスト
号・別称 撫松
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 東京繁昌記. [1], [2], [3], [4], [5], [6] / 服部誠一(撫松)著 山城屋政吉, 明7-9 <YDM24076>
  2. 勧懲繍像奇談. [1], [2] / 服部誠一(撫松)編 九春社, 明16.10 <YDM100721>
  3. 春窓綺話. [1], [2] / 服部誠一(撫松編訳 坂上半七, 明17.1 <YDM101063>
  4. 第二夢想兵衛蝴蝶物語. [1], [2] / 服部誠一(撫松)著 九春社, 明17.1 <YDM90981>
  5. 二十三年国会未来記. [1], [2] / 服部誠一(撫松)著 仙鶴堂〔ほか〕, 明19, 20 <YDM94804>
  6. 第二十世紀. [1], [2], [3] / ロビダ-著 ; 服部撫松岡島宝文館, 明19-21 <YDM101166>
  7. 連理談 / 服部撫松同盟書房, 仙鶴堂, 明20.2 <YDM95753>
  8. 稚児桜 / 服部撫松成美堂, 明20.6 <YDM94472>
  9. 民法辞解 / 磯部四郎, 服部誠一著 八尾書店, 明27.7 <YDM34171>
  10. 商法辞解 / 磯部四郎, 服部誠一著 八尾書店, 明27.9 <YDM35167>
  11. 征清戦記 / 服部誠一著 六盟館, 明27.10 <YDM2371>
  12. 征清独演説. [1], [2] / 服部誠一(撫松子)述 小林喜右衛門等, 明27, 28 <YDM2397>
  13. 支那未来記 / 服部誠一(撫松)著 小林喜右衛門, 明28.3 <YDM27896>
  14. 台湾地誌 / 服部誠一著 中村右衛門, 明28.8 <YDM26614>
  15. 明治新撰祝文軌範 / 服部撫松水野書店, 明28.10 <YDM79844>
  16. 新撰記事論説作文軌範 / 服部誠一(撫松)著 水野書店, 明29.1 <YDM79200>
  17. 孫呉講義 / 服部誠一述 誠之堂, 明29.8 (中等教育和漢講義 ; 第9編) <YDM52763>
  18. 台湾地誌 / 服部誠一著. 訂2版 中村右衛門, 明29.10 <YDM26615>
  19. 通俗征清戦記 / 服部誠一著 東京図書出版, 明30.9 <YDM2372>
  20. 新撰日用文範 / 服部誠一著 東北学会, 明31.3 <YDM80247>
  21. 祝祭弔慰文範 / 服部撫松水野書店, 明38.6 <YDM79781>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

服部誠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 04:13 UTC 版)

はっとり せいいち

服部 誠一
生誕 1841年4月6日天保12年2月15日
日本陸奥国安達郡
(現・福島県二本松市
死没 (1908-08-15) 1908年8月15日(67歳没)
日本東京府東京市牛込区納戸町
(現・東京都新宿区納戸町
墓地 青山霊園
別名 服部 撫松
出身校 二本松藩校敬学館
湯島聖堂
職業 文学者
ジャーナリスト
代表作 『東京新繁昌記』
親戚 徳光和夫(曽孫)
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服部 誠一(はっとり せいいち、1841年4月6日天保12年2月15日〉 - 1908年明治41年〉8月15日)は、明治時代文学者ジャーナリスト

号は撫松(ぶしょう)。陸奥国(現福島県)出身。

生涯

1841年二本松藩儒官であった服部半十郎(洞城)の長男として生まれる。祖父の服部半十郎(大方)は信州人だったが、二本松藩の儒官に聘され、その子の半十郎も儒官として勤めた。藩校敬学館、湯島聖堂に学んだ後、藩校の教授を務めた。1869年に藩の公用人として上京したが、廃藩置県により職を失い著述業に転じた。

1874年文明開化のさなかにあった東京風俗を描いた、寺門静軒『江戸繁盛記』の明治版ともいうべき『東京新繁昌記』を出版し、文体も『江戸繁盛記』流の変体漢文で、当時福沢諭吉西洋事情』『世界国尽』に並ぶ、1万数千部のベストセラーとなる。この収入によって湯島妻恋坂に新邸を営み、吸霞楼と号した。またこの知名度により、当時の著作の作者名や序文に服部の名を借りるものが多くあった。木版であった『東京新繁昌記』の活字版雑誌として、1876年に九春社を設立して週刊の『東京新誌』を発刊した。内容は、『繁昌記』風の漢文と、仮名交り文の戯文や、東条竹翆による人情小説で、著名人の艶聞や政治への諷刺批評を縦横して、当時としては大きな発行部数を得た。続いて姉妹誌『春野草誌』も発行、仮名文を多くし、服部以外の文章も多く、1年ほどで廃刊した。1880年頃には政論雑誌『江湖新報』を刊行し、週2回発行。1882年に紙商人丸谷新八の支援で九春社の事業を拡大し、『東京新繁昌記 後篇』、馬琴作品を明治に移した『第二世夢想兵衛胡蝶物語』、の伝記本『繍像奇談』などを発行した。

1882年には立憲改進党に加入し、山田喜之助市島謙吉高田早苗天野為之、砂川俊雄らと政治新聞『内外政党事情』(四通社)を発行。各参加者の多忙により数ヶ月で廃刊となったが、次いで民権拡張を論じる『広益問答新聞』『中外広間新報』などを発行した。これらは政府批判から、たびたび発禁処分となった。

『東京新誌』も新聞紙条例によりたびたび罰金や発売禁止処分を受けたが、井上馨令嬢の暴露記事により、ついに恒久の発行禁止処分を受けることになった。直ちに同様の内容の『吾妻新誌』を発行開始したが、丸谷新八と経営面で訴訟となり、『吾妻新誌』は丸八に譲り、1888年『京華春報』を発刊、しかしこの頃には漢文雑誌は時代に合わなくなって廃刊となった。

その後、文部省図書課詰などを経て、1896年に宮城県尋常中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)の教員となり、作文や漢文を教えた。その時の教え子には吉野作造らがいる。

1908年に夏期休暇で上京したが、脳溢血(または心臓麻痺)のため東京市牛込区納戸町(現・新宿区納戸町)の長男宅で死去した。戒名は浄先院真誉清観居士[1]。墓所は青山霊園1-ロ-7-23。死の直前、袁世凱の長男の家庭教師となり、日本に一時帰国していた吉野作造を訪ねて「老後の思ひ出に支那に行きたいから周旋しろ」と頼んでいたが、それはかなわなかった。

徳光和夫は曽孫。

影響

『東京新繁昌記』から『東京新誌』の文体は、六朝風や六経の引用から浄瑠璃の文句、都々逸漢詩など多彩なものを一体にした大胆なもので、また妾を「権妻」、官吏を鯰、泥鰌と呼ぶのも服部の造語だった。『東京新繁昌記』により『江戸繁盛記』が再び注目されるとともに、続いて同種の作品として成島柳北『柳橋新誌』、石井南橋『新橋雑記』、菊池三渓『西京伝新記』、総生寛『東京繁昌新詩』、関槎盆子『銀街小誌』、その他地方を題材にした類書がさまざまに出たが、売れ行きでは及ぶところではなかった。

『東京新誌』の花柳界などの記事執筆者には、桑野鋭(顧柳散史、『龍山北誌』)、荒井繚太郎(金繚散史)、三木愛花(『仙洞綺話』『仙洞余談』『仙洞美人禅』、大久保常吉(夢遊仙史)、西森武城(骨皮道人)、結城賛(凡鳥道人、『扶桑橋花譜』)などがいた。

脚注

  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)263頁

参考文献

  • 三木愛花「服部撫松伝」(十川信介編『明治文学回想集』岩波書店 1998年)

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