こうよう‐にん【公用人】
留守居
公用人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 19:53 UTC 版)
「小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「公用人」の解説
公用人は幕府・諸藩、及び明治新政府との渉外窓口である。公用人は加判の列ではないため重臣ではない。役職上の席次は、番頭より下位で、物頭より上位、もしくは同格である。小諸藩では9代藩主康哉が若年寄に就任したときと、明治2年の版籍奉還から廃藩までの2年間にだけ、見られる役職である。公用人は、江戸留守居役・同添役と同じ役職といえなくもないが、江戸家老相当の役職ではない。
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公用人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
公用人は江戸組に置かれた。共に城中にありその補佐・伝奏を行う。他に組1個隊が、城中の藩主に近侍して事務方を構成する。江戸家老はこれらに当たらないのが通例であった。江戸武鑑上では4名〜3名見られ、うち2〜1名は定府用人が兼帯している。
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公用人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:13 UTC 版)
藩主が幕府の老中や側用人といった要職にあるときに城使及び江戸留守居添役は、対幕府・諸藩等との外交専門の用人である公用人となる(寺社奉行などでは改称されない)。御城使たる江戸留守居と添役は、藩主が幕府の役職にあるときは将軍家の陪臣として、また藩主の身内人として、公儀の御用に携わることになる。よって江戸時代後期から、公用人の名が用いられるようになった。諸藩の藩主が幕府の役職に就任すると、参勤交代は行われなくなり、藩主は江戸定府となり、留守居と添役の職名は公用人に変更され、致仕するとまた元の職名に戻ることが、各種武鑑から証明できる。 また、京都所司代に就任した場合も公用人が置かれるが、この場合は藩主は当然、江戸に定府せず京に赴任して同地に詰めた。臨時に江戸屋敷から派遣された留守居・添役及び江戸屋敷に残った留守居・添役も、揃って公用人を称した。また、藩主の所司代就任に当たり、別個に家臣団を編成したが(その武鑑が現存する)、内実は江戸表や国許との役職との兼職や臨時の派遣に頼った。
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