スーパークイズスペシャルとは?

スーパークイズスペシャル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 01:14 UTC 版)

スーパークイズスペシャル』(SUPER QUIZ SPECIAL)は、日本テレビ系列で毎年、番組改編期に、1990年春から1999年秋に放送されていた、様々なタイプのクイズと主に各バラエティ番組ゲーム等を中心とした、日本テレビの各番組のレギュラー・司会者等が総出演したバラエティ番組の別称である。




  1. ^ 『SHOW by ショーバイ!!』は渡辺正行も司会を担当しているが、この時は解答者として出演した。
  2. ^ 「世界まる見え!世界のCMクイズ」、「特ホウ王国 4択クイズ」、「夜もヒッパレ・クイズ!サビからヒッパレ!!」等。
  3. ^ ただし、最終回となった1999年秋は『マジカル』最終回SPとの兼ね合いからか水曜日に戻っている。
  4. ^ 1993年秋ではがんのリハビリ中で欠席(同年12月に逝去)。
  5. ^ 1994年秋と1995年春ではバイク事故による入院、1997年秋は映画祭出席の為欠席。
  6. ^ 1997年秋にて、映画祭出席の為に欠席している弟の代役。
  7. ^ 1990年の2回はミリオンスロット叩かず、すぐに1軍席へ。
  8. ^ これは『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃の『2軍席決め抽選』から続行するルール。
  9. ^ 『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃は2軍には解答権が無く、1軍不正解を待つのみであった。1991年春から3回は自チームの前列の1軍チームが正解しているかを○×で予想する方式に、1992年秋以降は同上のルールに変更された。
  10. ^ 2軍が正解した場合は、3軍が2軍に、1軍が3軍に行き、3軍が正解した場合は、1軍と3軍が入れ替わり、2軍はそのまま。
  11. ^ 『SHOW by ショーバイ』からの『順金クイズ』・『世界年齢順クイズ』や『どんなMONだい?!』からの『対決ドボン』では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じ縦列の2・3軍にも入った。ただし、減点となる場合でも連帯責任となった為、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、『マジカル』からの『エラーを探せ』では正解したチームと同じ縦列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
  12. ^ 3軍・30萬、2軍・50萬、1軍・100萬。
  13. ^ 3軍・50萬、2軍・80萬、1軍・100萬。
  14. ^ 1993年秋-1994年春は『ホンモノいくつ!?クイズ』。
  15. ^ 1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活戦前に先に7チーム)が決勝進出すること。
  16. ^ 終了時点でも決勝進出チーム数より多い場合、司会者席のスロットを使って「同点スロット」でショーバイマネーを高いチームを決めた。
  17. ^ 福澤が司会を担当し、全て○×クイズで、1問目は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から出題し、2問目以降は『日本テレビネット局縦断○×クイズ』を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。
  18. ^ ただし、1991年秋のみドイツ旅行が贈呈される。
  19. ^ 得点ボードの位置は席の正面でなく、解答席から見て右側の遠い位置に移された。その後、デジタルの電光の色も白から赤に変更された。
  20. ^ 1995年春・秋は途中までの得点発表はラストクイズ直前のみであった。
  21. ^ 1996年以降は得点ボードを映すことは全く無くなり、優勝チーム以外の全てのチームの最終結果が不明となった。また、1999年春は優勝チームの最終得点すら公表しなかった。
  22. ^ 『SHOW by ショーバイ』終了後の1996年秋~1997年秋はそれに代わって「体重ピタリ当てましょう」になり、美女3-4人+松村邦洋などの追加人物の合計体重を当てるというものだった。1998年春以降はラストクイズが毎回異なっていった
  23. ^ なお司会者席のスーパーミリオンスロットを番組内で使用したのは1994年秋まで。
  24. ^ 1991年春までは3軍が無い。
  25. ^ 1996年春のみ4段目もある。
  26. ^ ビートたけし関連のチームが勝手にチーム名を変えることが多かったため。
  27. ^ 1996年春は5色×4段の20チーム。
  28. ^ 1999年秋は下段のが省かれ16チーム。
  29. ^ なおこのルールは番組内では説明が無かった。
  30. ^ 歴史上人物を含まれている
  31. ^ なお、当番組は日本テレビ制作だが、元ネタとなる紳助出演の『EXテレビ』は読売テレビ制作である。
  32. ^ なお、1997年秋はたけしの兄である北野大が映画祭の参加で欠席している弟の代役として、所と一緒に担当。
  33. ^ スカが存在したのはこの回のみ。
  34. ^ ただし、1996年春には勝ち抜けるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。
  35. ^ ここからCO2の噴射やトゲトゲボール、吹き矢といった、道中に色々な障害が登場するようになる。
  36. ^ ただし司会の所曰く、「仮に風船がパーンと割れてしまうとペナルティーとか失格とか、今回このクイズに関してはありません!」とのことで、たけしが「じゃあ、割れたまんま帰ってくるの?」と聞くと、「ただ、見た目が面白いから背負ってもらうという…」と言い、たけしが「くくく…考えているなぁ~」と唸らせていた。
  37. ^ チューヤンなどの外国人タレントには配慮のためか、比較的簡単な問題も出題しており、日本語で解答できない場合は、その外国人タレントの母国語で、解答していたこともあった。
  38. ^ ただし、久本雅美石田純一に「どけ!」と発言して、交代となったことはある。
  39. ^ 1997年秋ではヒロミから指名されて激怒し、そのままスタジオの外に出ていくというハプニングがあった。
  40. ^ なお、この時の後半に、指名時に「どけ!」という発言から、アドリブで指名相手に関する毒舌な発言をするというルールに変更された。例、山口智充太平サブローに対して「絶対にお前より、モノマネうまい」等。
  41. ^ 1999年秋のみ松永に代わって藤井恒久が出題を担当した。
  42. ^ とは言いつつ、自ら持ちネタを披露するなど誰が書いているのかがバレるのがお約束であった。
  43. ^ コーナー司会である今田、東野もその槍玉に挙げられる場面も多く見られた。
  44. ^ これらの指示を全て食らったのは岡村のみだが、いずれも成功している。
  45. ^ このマスに止まり、食らったのは岡村(2回)、リサ・ステッグマイヤー、板東の3人。
  46. ^ このマスに止まったのは堂本剛のみで、「パンストを被れないと2マス戻る」の指示を見事成功した。
  47. ^ なお、たけしと光一の席は隣同士であった。
  48. ^ 前回もたけしは出場しており、このときは内村の前に正解し、勝ち抜けしている。
  49. ^ 最後から3番目に勝ち抜けしたのは高島礼子
  50. ^ この問題の答えはおとそであり、光一は「僕、お正月生まれなんですよぉ~」と悔しがっていた。
  51. ^ 穴をふさいだり、不正解を書いておいて、相手がその答えを書いたら自分は正解を書くなど。
  52. ^ 1番と2番の歌詞がまざっていたり、2番の歌詞を歌った場合でもアウト。この他、ドラえもんのうたで「ハイ!タケコプター」の「ハイ!」などのコーラスを歌い忘れるなどでもアウトになる。
  53. ^ 現タイトルは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』
  54. ^ a b 1990年春・秋は『クイズ世界は』チームと『SHOW by ショーバイ!!』チームの2チームに分けて出場。
  55. ^ 1998年秋は『マジカル頭脳パワー!!&メレンゲの気持ち』チームとして、1999年春は『マジカル頭脳パワー!!&いろもん2』チームとして参加した。
  56. ^ 同時期にウンナンから今田・東野に代わる形での参加。今田・東野は「怪傑!コウジ園」が終了した為の受け皿番組となった。
  57. ^ 初参加の1995年春の収録時点ではまだタイトルが決まってなかったため、解答席の札や得点ボードには『ウンナン新番組(仮)』と表示されていた。だが放送当日はタイトルが決定されたため、札などの表示はそのままに、テロップでは『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』と表示された。
  58. ^ 1997年春は不参加。その当時レギュラー陣だったキャイ〜ンは「笑ってコラえて!」チームでの参加。
  59. ^ 1994年春・秋と1996年秋は同番組の編集局長であるウンナンをメインとした「ウンナン世界征服宣言」→「ウリウリ!ナリナリ!!」→「ウリナリ!!」の合体チームとして参加。最後の回は「世界まる見え!」と合体チームとして参加。
  60. ^ 同ドラマは1983年10月に第1シリーズ、1988年1月に第2シリーズ、1990年10月に第3シリーズがそれぞれ開始された。
  61. ^ 同ドラマは1993年3月に開始。
  62. ^ 1997年秋は司会のKinKi Kids主演のドラマ「ぼくらの勇気 未満都市」の合体チームとして参加。
  63. ^ 1996年秋以降は参加しなかったが、中山秀征は「夜もヒッパレ」チーム(なお、1995年春・秋では同番組のチームと同時に参加)、麻木久仁子は「マジカル」チーム(1996年秋のみ)として参加している。
  64. ^ 主に「おじゃマンボウ」との合体チームとして参加。
  65. ^ 2017年4月2日から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』に改題。
  66. ^ 番組は1991年春に開始。1998年春は「進ぬ!電波少年」と合体チームとして参加。1999年春は司会の所ジョージが出演している「笑ってコラえて!」と合同チームとして参加。
  67. ^ 番組は1996年春に開始。1998年秋は「マジカル頭脳パワー!!」と合体チームとして参加。ただ、1999年秋の最終回は参加せず、現在も司会を務めている久本雅美は「バラ色の珍生!!」チームでの参加。なお、久本にとっては「SHOW by ショーバイ」シリーズ終了後の受け皿番組でもあった。
  68. ^ 番組は1996年夏に開始。初登場回と1997年秋は同年秋に開始した「特命リサーチ200X!」と合体チームとして参加。
  69. ^ 司会の明石家さんまは一度も出演せず、御殿に当時準レギュラー級で出演していたゲスト陣が「御殿チーム」として出演していた。これはチーム番組の司会者が不在という唯一の例となった。
  70. ^ 「家なき子」シリーズとしては2度目の優勝。
  71. ^ くれなゐと同点。
  72. ^ この時の放送日は『マジカル』最終回SPの前日であり、最初で最後の優勝となった。なお、1992年秋では準優勝だった。





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