THE_MANZAI_(1980年代のテレビ番組)とは? わかりやすく解説

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THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 23:39 UTC 版)

THE MANZAI
ジャンル 演芸バラエティ番組
出演者 参照
製作
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域 日本
THE MANZAI
プロデューサー横澤彪
放送期間1980年4月1日 - 1982年6月15日
放送時間参照
放送枠
  1. 放送日時
回数11
THE MANZAI2001 ヤングライオン杯
出演者参照
放送期間2001年5月19日
放送時間土曜 12:55 - 15:25
放送分150分
回数1
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THE MANZAI』(ザ・マンザイ)とは、1980年 - 1982年に、フジテレビ系列火曜ワイドスペシャル』内で単発特別番組として3か月に1回の割合で計11回放送されたバラエティ番組である[1][注釈 1]。番組を仕掛けたのは、当時肩身が狭かった横澤彪プロデューサーを中心としたフジテレビ演芸班[1][2]

概要

毎回数組の漫才コンビが漫才を披露するというシンプル極まりない番組だったが、従来のスーツ姿の男2人が「ねえ、きみ」「なんやねん」などと典型的な掛け合いを繰り出すような古臭い演芸番組のスタイルを全て排して[1][2][3]、フジテレビらしい画期的な演出(客席に若者しか入れない、出演者もベテラン勢を1~2組程度に留め若手コンビを中心とする、出演者の服装は自由、舞台セットを豪華でポップなものにする、小林克也アメリカナイズされた呼び出しに、コンビが登場する時の出囃子フランク・シナトラの「When You're Smiling」(邦題「君微笑めば」)の前奏と後奏を合わせ、煌びやかなステージに登場する若手漫才師の姿を何台ものカメラがダイナミックに捉える、ネタの冗長な部分に編集を入れるなど)を凝らした結果、若者にも受け入れられるテレビ向け漫才の確立に成功[1][2][3]。『花王名人劇場』(関西テレビ制作)とともに漫才ブームの基を築いた[2][3][4]漫才のスタイル、イメージを劇的に変え[3]、スピード感とライブ感に溢れる今風の漫才は、本番組によって確立された[3]

また、本編の漫才の前に必ず外国人を使った、演者の名をPRした海外のCM風パロディのショートフィルムが流れていたという。

第1回放送

第1回が放送された1980年4月1日は、TBSザ・ドリフターズ特番の放送が予定されていて(日本テレビは『探偵物語』最終回)[2]裏番組が強力すぎなことから、フジテレビは当初予定していた制作班が逃げた[2]。当時フジテレビの演芸班に所属していた横澤彪は、編成から「企画を出せ」と強制的に企画の提出を求められていたことから、やるつもりもなく、ほぼ趣味でたくさんお笑い番組の企画を提出していた[2]。たまたま出していた『東西対抗漫才大会』という企画が編成の目に留まり、これをドリフの裏でやらないかと言われた[2]。『東西対抗漫才大会』という企画自体は、漫才ブームを興した切っ掛けとして知られる1980年1月20日に放送された花王名人劇場激突!漫才新幹線』(関西テレビ)と同じということになる。フジテレビのゴールデンタイム(プライムタイム)で漫才番組が放送されるのは前例のない、あるいは何10年ぶりかの企画で、横澤は当時は漫才ブームが来るとは全く思っていなかったというが、フジテレビの編成では漫才番組がいけるのではないかという考えが既にあったという[2]。どうせドリフには勝てないだろうからと、横澤らスタッフはそれなら自分たちがやりたいこと、「"構造改革"をやりたい」という意見が出て、前述した画期的な演出アイデアが次々生まれた[2]。『THE MANZAI』というタイトルも企画を進めるうち、美術デザイナーが横文字で『MANZAI』とローマ字表記で書かれた背景イラストを持って来て、これを電飾で置きたいと提案[2]。スタッフがこれはいいとなり、後から「THE」を付け足し『THE MANZAI』になった[2]。ところがこのタイトルに編成が猛反対し、喧嘩となり、妥協案としてサブタイトルのやたら長い番組名となった[2]。出演者の漫才師も視聴者もそれまでテレビで見たことのない若手にしようとなったが、彼らは当時既に30歳前後だった[2]。有名無名に関係なく、自分たちが聞いてみて、何かメッセージを感じる人、メッセージ性を持ってる人にしようとスタッフでこっそり演芸場を見て回り、全国ネットの番組に出たことのない人たちを集めた[2]。横澤は「視聴者としては今まで見たことのなかった人たちのメッセージはショックだったのではないか。それが第一段階としては成功した一つの要因」と述べている。お客も従来の演芸番組のお客を入れ替え、スタッフみんなで各大学の「落語研究会」や「クイズ研究会」「プロレス研究会」「鉄道研究会」のようなサークルに電話を掛けてお客を集めた[2]。横澤は集めた演者(漫才師)の感覚が鋭く、自分たちより先を行っていると感じたという[2]

第2回以降

漫才番組の中でも別格的存在であり、出演者にとってはまさに真剣勝負の場でもあった。出演順は抽選で決められ、楽屋では常に緊張感が漂っていたという。

最大のハイライトが銀座博品館劇場からの生中継だった1980年12月30日放送の第5回で[1]視聴率は関東32.6%、関西で45.6%を記録した[1]

1982年6月15日放送の第11回を最後に放送されなくなるが、2001年5月19日に当時の東西人気漫才コンビにより『THE MANZAI2001 ヤングライオン杯』が19年ぶりに放送された。この回のみ関東ローカルで放送された(ただし、他の地域でも遅れネットで放送された実績あり)。なお谷良一によると同年8月に第2回放送予定されていたが、視聴率が振るわなかったので立ち消えとなった[5]

その後、2010年で一旦、朝日放送発の全国ネットで放送されていた漫才のコンテスト「M-1グランプリ」が廃止されたことを受けて、2011年から2014年まで日清食品 THE MANZAIとして漫才のコンテストを開催していたが、2015年から「M-1」が再開されることを受けて、当頁の体裁と同じ漫才のネタ見せ番組として『Cygames THE MANZAI マスターズ』が開始された。[6]

放送日時

回数 放送日時 サブタイトル 視聴率
第1回 1980年4月1日
20:00 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI
翔べ!笑いの黙示録東西激突!残酷!ツッパリ!ナンセンス[2][7]
15.3%
第2回 1980年5月20日
20:00 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI2
東西人気漫才激突!今君に贈る笑いのメッセージ
17.2%
第3回 1980年7月1日
20:00 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI3
笑いのニューアイドル最新作公開
27.0%
第4回 1980年10月7日
19:30 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI4
秋の新作10本満載!!今笑いのアイドルが君に贈る熱いメッセージ
28.8%
第5回 1980年12月30日
19:30 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI5
グランプリ!銀座博品館劇場から生中継
32.6%
第6回 1981年3月31日
19:30 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI6
おまたせ!81年春の新作大公開!!今君に贈るクリスタルなメッセージ
18.9%
第7回 1981年6月30日
20:00 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI7
新作!!初公開
17.9%
第8回 1981年9月29日
19:30 - 21:24
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI8
秋の最新傑作大公開!生き残るのはだれか?決めるのはキミのセンスだ
15.8%
第9回 1981年12月8日
19:30 - 21:00
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI9
年末特別企画 乱れ打ち81年重大ニュース
17.5%
第10回 1982年3月30日
19:00 - 21:00
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI10
やったね!カーニバルあのYMOを先頭に異色ひょうきんコンビ続々登場
第11回 1982年6月15日
19:00 - 21:00
火曜ワイドスペシャル THE MANZAI11
イキイキ感覚
2001 2001年5月19日
12:55 - 15:25
THE MANZAI2001
ヤングライオン杯

第5回は「THE MANZAI Grand Prix」として、銀座博品館劇場から生中継を行った。

出演者

1980年(全5回放送)

回数 放送日時 出演者
第1回 4月1日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし ザ・ぼんち 星セント・ルイス 中田カウス・ボタン
第2回 5月20日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお オール阪神・巨人 ぽぱい 海原さおり・しおり
第3回 7月1日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ザ・ぼんち 春やすこ・けいこ
第4回 10月7日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ザ・ぼんち 春やすこ・けいこ 星セント・ルイス 太平サブロー・シロー おぼん・こぼん
第5回 12月30日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ザ・ぼんち 春やすこ・けいこ 星セント・ルイス 太平サブロー・シロー おぼん・こぼん

1981年(全4回放送)

回数 放送日時 出演者
第6回 3月31日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ヒップアップ ザ・ぼんち 中田カウス・ボタン 太平サブロー・シロー 今いくよ・くるよ
第7回 6月30日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ヒップアップ ザ・ぼんち オール阪神・巨人
第8回 9月29日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ヒップアップ ザ・ぼんち オール阪神・巨人 太平サブロー・シロー
第9回 12月8日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ヒップアップ ザ・ぼんち オール阪神・巨人 太平サブロー・シロー 春やすこ・けいこ

1982年(全2回放送)

回数 放送日時 出演者
第10回 3月30日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 西川のりお・上方よしお ヒップアップ オール阪神・巨人 柄本明佐藤B作 明石家さんま春風亭小朝 山田邦子山村美智子 やすえ・やすよ 伊丹幸雄城みちる ポップコーン 梨元勝福岡翼 トリオ・ザ・テクノ
第11回 6月15日 ツービート 島田紳助・松本竜介 B&B 横山やすし・西川きよし 西川のりお・上方よしお ヒップアップ 太平サブロー・シロー ポップコーン

THE MANZAI2001 ヤングライオン杯

放送日時 出演者
2001年5月19日 爆笑問題(司会も兼任) フットボールアワー COWCOW 品川庄司 ロザン 海砂利水魚 キングコング TIM ランディーズ 中川家 ハリガネロック X-GUN

キャスト・スタッフ

DVD

脚注

注釈

  1. ^ 番組中期からは、時間帯は一緒ながら『火曜ワイドスペシャル』の枠名が消えるようになった

出典

  1. ^ a b c d e f 河瀬大作他 (2016年5月3日). “1980年「MANZAI」に賭けた男たち 鬱屈した野心の化学反応が、大革命を起こした”. 日経BP. オリジナルの2019年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190202212333/https://business.nikkei.com/atcl/report/15/070300016/043000019/ 2022年11月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「放送人の証言」074 横澤彪放送人の会放送界の先人たち・横澤彪氏~“ひょうきん族”スタート時は「やけくそ」~【調査情報デジタル】”. TBS NEWS DIG. ジャパン・ニュース・ネットワーク (2024-09-207). 2025–01–06時点のオリジナルよりアーカイブ。2025–01–07閲覧。
  3. ^ a b c d e 熊崎敬「人気はスーパーアイドル級!稼ぎはプロ野球最高峰のなんと10倍 B&B洋七がいま明かす漫才ブーム破天荒回顧録」『別冊宝島special 昭和発掘 黄金の時代、再び 秘蔵写真と証言で蘇る、昭和メモリー』宝島社、2017年、58–63頁。ISBN 978-4-8002-7588-2https://tkj.jp/book/?cd=12148301 
  4. ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
  5. ^ 谷良一『M-1はじめました。』東洋経済新報社、2023年11月15日、82-84頁。ISBN 978-4492047552 
  6. ^ フジ『THE MANZAI』ネタ見せ番組として継続へ”. ORICON STYLE (2015年11月25日). 2015年12月3日閲覧。
  7. ^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p51

関連項目

外部リンク

フジテレビ系列 THE MANZAIシリーズ
前番組 番組名 次番組
-
THE MANZAI

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