山田隆夫とは? わかりやすく解説

山田隆夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 09:42 UTC 版)

やまだ たかお
山田 たかお
本名 山田 隆夫
生年月日 (1956-08-23) 1956年8月23日(68歳)
出生地 日本東京都江東区深川
身長 155 cm
血液型 A型
職業 タレント
シンガーソングライター
落語家
俳優
活動期間 1966年 -
配偶者 既婚(離婚歴あり)
事務所 山高帽
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山田 たかおやまだ たかお
別名 鈴々舎 鈴丸(旧名)、山田 隆夫
生年月日 (1956-08-23) 1956年8月23日(68歳)
出身地 日本東京都江東区
師匠 5代目鈴々舎馬風
活動期間 1966年 -

山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお[注 1]、高座名:鈴々舎 鈴丸〈れいれいしゃ すずまる〉、1956年昭和31年〉8月23日 - )は、日本タレントシンガーソングライター落語家俳優、6代目座布団運び。5代目鈴々舎馬風門下でもある。東京都江東区深川出身。親類は、山田純大杉良太郎(山田勝啓)がいる。

来歴・人物

生い立ち

1956年8月23日、東京都江東区で生まれ育つ。6人兄弟姉妹の末っ子として誕生する。幼少期、材木問屋の実家が詐欺に遭い全財産を失う[1]。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった[2]

渋谷区猿楽小学校時代には学芸会で演目に参加して人気があった。10歳の時、フジテレビの『ちびっこのどじまん』でデビュー[1]。番組の審査員に声をかけられ、NHKの歌番組に出演。さらに、その様子を目にした脚本家に見初められ『劇団ひまわり』に所属[1]。その後複数の番組に出演し、1970年からは日本テレビの『笑点』の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演した[2]

ずうとるび

「ちびっ子大喜利」の座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューだったことから、1973年ずうとるびを結成し、歌手デビューを果たす[2]。ずうとるび在籍時代には歌手として、第26回NHK紅白歌合戦に出場。その後(1975年3月)日本大学豊山高等学校を卒業する。

1977年、結婚を機にずうとるびを脱退[2]。建前上は結婚のため脱退となっているが、実際はこの頃ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、当時は他のメンバーと険悪な状態になっており[1]、山田自身の意思による脱退だった(しかし、山田はメンバーらと後に和解し、2020年再結成に至っている)。

ずうとるび脱退以降は俳優に主軸を置いた活動となるが、脱退と同時にずうとるびとして出演していた番組を軒並み降板することになった。そのため仕事の数が急激に減り、当時すでに所有していたマンションが主な収入源となる時期があった。このときの出演番組のひとつにNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』があり、毎週土曜日に放送されていたコーナー『どんどんどん』のお兄さんを1980年度の1年間務めた。この間、17歳でプロボクサーのライセンス(プロボクシングC級ライセンス)を取得した[3][4]

俳優活動

俳優としても活動しており、多数のテレビドラマや映画に出演している。1987年にアメリカ映画『太陽の帝国』(スティーヴン・スピルバーグ監督)に出演[1]、オーディションにより決定したがその際には「キリストのお墓が日本のお寺にあるって聞いて、実際にそのお寺に行ってお坊さんに『本当にお墓はあるの?』って聞いたら、お坊さんが言ったんです。『イエス、イエス』」というギャグを披露し合格した[5]。また、これに伴い山田は役作りのために坊主頭になっている。その時期、警察署の一日署長を務めたことがあり、その写真が笑点40周年記念本に収録されている。

この演技が認められ、『ミスター・ベースボール』に通訳の役で出演が内定。山田自身も出演を公表していたものの、後に出演が取りやめとなった。

『笑点』の「座布団運び」として

1984年10月7日から松崎真の後任として、『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任[1]。山田は前述の通り以前『笑点』の「ちびっ子大喜利」に出演していたことから、事実上番組に復帰した形となる。これまで座布団運びを務めてきた人は体格の良い者が多かったが、「重い座布団をちっちゃいのが運んだらおもしろいんじゃないか」という5代目三遊亭圓楽と番組プロデューサーのアイデアで、岐路に立っていた山田に白羽の矢が立った[6]。山田の色紋付は当初赤紫だったが、1年後朱色(番組ではと扱われることが多い)に変わる。定紋は『剣かたばみ』。

年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしていることから、回答者からしばしば「今日(今週)限りで番組卒業・クビ」「来週からは新座布団運びが登場」「あんな仕事は誰でもできる」「山田の挨拶はつまらん」「いい加減辞めてほしい」「山田、座布団運び卒業するってよ」「じゃま田隆夫」などと罵倒されることが多く[注 2]、これに反発して回答者を突き飛ばす(突き飛ばした直後に文句を言う時もある。)など荒いやり方で座布団を没収する。罵倒されなくてもごく稀に突き飛ばして座布団を没収することもある。これは、目立たなくなりがちな座布団運びを番組に絡ませようという5代目三遊亭圓楽の提案が元で始まった。山田の罵倒ネタは林家たい平を中心に、かつては林家こん平6代目三遊亭円楽(楽太郎)、桂歌丸なども多用していた。座布団の没収に関して5代目圓楽からは「山田君に任せます」と言われたり罵倒した回答者を嗜めるなどこの行為を黙認されていたが、歌丸や昇太からは奪った枚数+1枚(稀に2枚以上)を与えるように指示されることが多くなった[注 3]。また、歌丸司会就任以降は、冒頭の挨拶の際に司会者から「○○な座布団運びのご挨拶からどうぞ」と、ほぼ毎回貶した形で紹介をされている[注 4]。歌丸司会時代、歌丸がメンバーの山田罵倒回答にほぼ座布団をあげており、自身への罵倒回答に座布団をあげる様指示を出された時は小声で「何で?」等不満を漏らしていた。昇太司会就任以降は、暴力による笑いが受け入れられ難くなってきた世間の風向きや山田当人も高齢となり派手な動きが難しくなってきたこともあってか突き飛ばしたり蹴ったり等して無理に座布団を取り上げることは減り、罵倒されると舞台袖から出てきて泣き真似をしながら戻るといった風なやり取りが多くなっている。

子作りネタでいじられ、5代目圓楽からは「動くバイアグラ」と言われた事がある。

昇太の司会就任以降は、宮治や六代目円楽の後任として加入した春風亭一之輔から、「楽屋の弁当を盗んだ」などと弄られることがある。

芸歴上は、林家木久扇の卒業を期に全員が後輩になったが、メンバーからは「山田くん」と呼ばれている[注 5]。2010年ごろからパーマをかけた独特の髪形にしており、これも「人間の髪型じゃない」「爆発に巻き込まれた人」などといじられることがあるほか、歌丸からは「カビの生えたような頭を直しなさい」と苦言を呈されている[7]

2024年後半ごろからは、ぱっつん前髪がおでこに張り付いて長い後ろ髪にパーマがかかった「聖子ちゃんカット」に近い髪形になり、冒頭の挨拶の際に昇太から「名前より髪型が気になるこの方のご挨拶です」と弄られ、別の収録では昇太に加えて宮治からも「富士宮焼きそば」と弄られていた。

江戸川区在住時代は5代目圓楽から「江戸川のスター」と紹介されることが多かったが、東京都の区画整備により高圧鉄塔が建つために立ち退き、横浜市に引っ越した。新居落成時には、番組でメンバーのお宅訪問が行われた[注 6]。山田本人はこの邸宅を「座布団御殿」と呼んでいる。また、細木数子からの助言を受けて、2011年には東京都江東区にマンションを建設したが、2023年にそのマンションが再開発の対象区域となり、国から売却を求められたため、多額の利益を得たことを明らかにしている[8][9]

5代目圓楽は山田の背が低いことから「山椒は小粒でもピリリと辛い」「総身が知恵」と紹介したこともあった。

なお、笑点には座布団係に徹するために本名で出演しているが、鈴々舎馬風に入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名を持っている。入門のきっかけは笑点の座布団運びになったことで、落語での世界のしきたり・作法や立ち居振る舞いなどを勉強する意味で、落語家修行を始めたものである[6]。番組内では時折「大喜利メンバー入り」の意思を宣言しており、稀に大喜利で回答することもあるため弟子入りしたとも考えられている。

1998年7月には自身が務めていた「大喜利」の座布団運びを若手大喜利のメンバー[注 7]に任せることとなり休んだが、視聴者から苦情や抗議が殺到したことに加えて、五代目圓楽と歌丸を含めたメンバーからも「山田君を座布団運びに戻さないなら、笑点は他局でやる!」と要望したこともあって1か月ですぐに復帰した[10]

2020年5月17日放送分以降は新型コロナウイルスの流行の影響で、番組の収録形式がリモートに変更になったことに伴い、山田は出る幕がないことから不要不急として一時休演することになった[注 8]。しかし視聴者から心配する声が相次いだことにより、6月14日以降は挨拶の時のみ電話音声やVTRで出演するようになり、8月23日放送の「チャリティー笑点」(生放送)からスタジオ出演に復帰している。

エピソード

  • ずうとるび時代、自ら作詞、作曲を手掛けた作品を多く残している。
  • 部員として林家こん平が監督するらくご卓球クラブに所属[1]世界ベテラン卓球選手権に出場して公式戦で2勝する経験を持つ[3]
  • 結婚歴は2回。元妻・吉川桂子との間に娘2人、1985年に再婚した現在の妻との間に息子と娘1人ずつがいる[注 9]。そのため2000年代初頭までは『笑点』内で「子作りのことしか考えていない」「誰の子供だかわからない」などと子作りネタで罵倒されることが多かった[注 10]ほか、山田自らも「子作り名人」と挨拶で使うこともあった[注 11]。また元妻・吉川との結婚式は、当時東京12チャンネルでMCを務めていた『対決!スーパーカークイズ』内で行われた。元妻と現在の妻は漢字は違うものの、同じ「けいこ」という名である。『笑点』公式サイト上の用語集によると、元妻が「桂子」、現妻が「恵子」と表記されている。
  • 認知症を患う母親をアパートに住まわせていたが、諸般の事情から母親の看護は姉に全て任せたため、母親が亡くなるまで山田自身は一度として見舞いに訪れなかったという。「笑点」の大喜利で(山田を挑発した)たい平を突き飛ばして自らの小指の靱帯を切った際、嫌な予感がしたと思ったら、そのとき母親が危篤状態で、そのまま息を引き取ったと笑点オフィシャル本の中で語っており、「身体を休めなさい」という母親からのメッセージが、小指の靱帯を切ったという形で現れたのではないかと本人は語っている。
  • 以前、立川志の輔とともにペヤングソースやきそばのCMに出演した際、まるか食品からカップ焼きそばを段ボールで1年分贈られており、そのカップ焼きそばのファンでもある六代目三遊亭円楽から「分けてくれ」とせがまれた時期がある。
  • 「笑点」大喜利コーナーで運んでいる座布団は1枚3kg以上あり、ぎっくり腰を何度もやっている。そのため、日頃からジムで筋トレをしていると語っている[11]
  • 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽桂歌丸林家こん平初代林家木久蔵(現在は林家木久扇)三遊亭小遊三三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)古今亭朝次(後の7代目桂才賀))とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きに使われる航空機が遅延した上に同空港の悪天候により条件運行となったため、徳島行きの便の1つ後に出発する日本航空123便[注 12]に搭乗し神戸から船で移動する案が出された[注 13]。しかし、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したために当初の予定通り徳島行きの便に搭乗し、123便の墜落事故を逃れた。墜落事故については宿泊先のホテルへタクシーで移動中に知ったという[12]

出演

ドラマ

映画

広告

バラエティ

その他

ディスコグラフィ

著書

  • ボクに運が巡ってくる55の理由 座布団運び山田くんの法則(廣済堂出版) 2012年(平成24年)5月25日発刊(企画・構成:今村良樹

脚注

注釈

  1. ^ 2014年4月からは『笑点』出演時を除き芸名の名前部分をひらがなに変更。
  2. ^ また、24時間テレビ内で行われるチャリティー大喜利では、その年のパーソナリティーである女優が山田とともに座布団運びを務めており、司会者や回答者からも「来週以降もお願いします」と懇願されたり、女優自ら「後継を狙ってます」と発言することもある。
  3. ^ ただし、一定数座布団があった場合は没収されたままになることもある
  4. ^ これは、前任の座布団運びである松崎真が務めていた際に、当時の司会だった三波伸介が行っていた紹介の仕方を踏襲している。
  5. ^ ただし、自身より年下の昇太・たい平・2代目三平・晴の輔・一之輔・宮治からは基本的に「山田さん」と呼ばれている。
  6. ^ この時のリポーターは三遊亭好楽で、山田の新居に入ると先にこん平が台所で食事をしていたり、小遊三が風呂に入って歌っていた。
  7. ^ この若手の中には、現司会者の春風亭昇太や後に大喜利メンバーとなる林家たい平も含まれていた。
  8. ^ メンバーが映されているモニターの隣に等身大写真パネルが設置され、CGアニメーションで山田が座布団を運ぶ演出が導入された。
  9. ^ 現在の家族は、2006年1月1日に放送された大笑点の生中継において、アンジャッシュが山田の自宅を訪問した際に登場した。
  10. ^ 特にこん平からは(同郷だった田中角栄の物真似で子作り政策を実行しますと言う問いに)「まずだね、山田つれてきて、村に放ちます!!」、「恵子ちゃん、山田の近くにバイアグラ、あってはならないあってはならない」とネタにされるなど、こちらも卒業と共にネタにされる事が多い。
  11. ^ 笑点のオープニングアニメーションでも、多くの子供に囲まれたイラストが使用されることがあった。
  12. ^ 123便にはイベントに同行する予定の数名の広告代理店社員が搭乗した。
  13. ^ 当時は瀬戸大橋明石海峡大橋神戸空港は未開業。

出典

  1. ^ a b c d e f g "『笑点』で座布団を運び続けて38年、山田たかおが語る『ずうとるび』と心に残るジャニーさんの言葉". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 10 April 2022. 2022年4月10日閲覧
  2. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』90ページ
  3. ^ a b 幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」 リクナビNEXTジャーナル プロのシゴト観 2015年11月20日
  4. ^ 山田 たかお profile 株式会社フジプランニング
  5. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 3』講談社、2003年。 
  6. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』91ページ
  7. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』25ページ
  8. ^ 「笑点」山田隆夫、不動産投資でボロ儲けしていた!「国が“評価額の3.46倍で売ってください”と…」”. スポーツニッポン (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。
  9. ^ 『笑点』山田隆夫、不動産で“ボロ儲け” マンションは「評価額の3.46倍」 土地も「1坪5000円が500万」”. ENCOUNT (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。
  10. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』92ページ
  11. ^ 2014年5月16日付日本経済新聞 文化面「座布団と積み重ねた幸せ」
  12. ^ 山田隆夫. ボクに運が巡ってくる55の理由. 廣済堂出版 
  13. ^ 奉行所に於いて紋付姿で、奉行依り十手取り縄が授けられる映像があるので、御用聞きでは無く小者の身分である。

関連項目

外部リンク

先代
松崎真
1971年7月18日 - 1984年9月30日
笑点」座布団運び
6代目
1984年10月 -
次代
-

山田隆夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:06 UTC 版)

ずうとるび」の記事における「山田隆夫」の解説

1956年8月23日生まれ血液型A型東京都江東区深川出身。同グループのリーダーで、サイドギターボーカル担当。 ずうとるび結成以前から作詞・作曲趣味だった。また、ギターに関してかなりのコレクターとして知られていた。 1977年をもって吉川桂子との結婚機に脱退したが、2020年再結成同時に復帰1984年より、かつて出演しグループ結成のきっかけ作った笑点座布団運び役として活躍している。 詳細は「山田隆夫」を参照

※この「山田隆夫」の解説は、「ずうとるび」の解説の一部です。
「山田隆夫」を含む「ずうとるび」の記事については、「ずうとるび」の概要を参照ください。

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