落語家
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落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である[要出典]。
注釈
- ^ 例として、立川談幸門下の立川吉幸・幸之進は落語立川流で二つ目に昇進していたが、師匠の談幸とともに落語芸術協会へ移籍した際は、吉幸は1年間、幸之進は2年間の前座修業を改めて課された。
- ^ 辞書に掲載されている形では二つ目だが、最近では二ツ目と表記されていることが多い。この表記については特に決まりが無く、人によっては二っ目や二ッ目と仮名を小さく書く場合もある。
- ^ ただし、2012年2月26日放送のフジテレビ「大日本アカン警察」で、六代目三遊亭円楽がゲスト出演した際に円楽一門による地方公演の密着取材VTRがあったが、円楽の弟子三遊亭楽大が当時二つ目でありながら鞄持ちなど付き人の仕事をしており、ケースバイケースになっている。
- ^ ただし、落語家時代の伊集院光(当時は三遊亭楽大)、現役の落語家では橘家蔵之助、三遊亭とむ、春風亭昇太、桂竹丸、古今亭菊丸、三遊亭好青年などが前座の身分でありながらテレビ・ラジオに出演している。また、ミスiD2016ファイナリストに選出された林家つる子は、2015年夏の応募時は前座であった。
- ^ 例外として、落語三遊協会所属であった六代目三遊亭圓生が死去した際の二ツ目であった三遊亭旭生(後の三遊亭圓龍)、三遊亭梅生(後の七代目三遊亭圓好)などの例が挙げられる。圓生直門の前座・二ツ目の弟子は圓生の死去を受けて落語協会に復帰する事となったが、同時期に落語協会に復帰した圓生門下の真打(彼らの兄弟子となる圓彌・生之助・圓窓・圓丈)の門下に直る事は許されず、師匠がいない落語協会預かりの身分として置かれる異例の状態となった。「圓生一門の事実上解体」とも言え「落語協会分裂騒動」を引き起こした圓生一門への制裁との見方がある(詳細)。
- ^ 基本的に自身の師匠以外では、入門時点で真打だった兄弟子は〇〇師匠、入門時点で二ツ目以下だった兄弟子の場合はその兄弟子が真打昇進後も〇〇兄さんもしくは〇〇さんと呼ばれる場合が多い。また、同じ師匠を持つ兄弟弟子でも上の方の兄弟子と下の方の弟弟子が大幅に年齢や経験年数が離れていると、弟弟子はその兄弟子に〇〇師匠と呼ぶのが通例である。女流の場合は入門時点で二ツ目以下だった姉弟子の場合は〇〇お姉さんや〇〇姉さんと呼ばれる場合が多い。
- ^ 例外として、初代林家三平が当時二つ目の身分であったにもかかわらず、林家珍平(三平の真打昇進と同時期に廃業し、俳優へ転向している)や林家こん平などを弟子にしている(林家こん平#来歴・人物も参照)。初代三平夫人の海老名香葉子によれば、こん平は既に「五番弟子」であったという[5]。
- ^ 地上波の笑点で真打昇進披露口上が収録・放送されていないのは、落語協会は2020年3月から2023年3月昇進者までの計21人、落語芸術協会は2020年2月から2022年5月昇進者までの計11人(柳亭小痴楽を除く成金(落語家ユニット) メンバー全員+春風亭昇吉)、円楽一門会は2020年4月と2022年6月昇進者の計3人(三遊亭一太郎除)、落語立川流は2020年4月と2021年9月昇進の2名。なお、2019年9月に真打に昇進した柳亭小痴楽(3代目)は、披露口上収録当日に仕事のため欠席で録画コメントのみ、落語協会の真打のみの口上となっている。
- ^ なお、一太郎と同時に昇進した三遊亭好一郎(三遊亭好楽門下)は、パーティー・披露興行などは通常と同じように開催されたが、笑点での紹介・口上は行われていない。
- ^ 例外として不祥事などのペナルティにより、香盤を下げられた実例がある。落語協会分裂騒動で旗揚げした落語三遊協会でトップであった三遊亭圓生が死去したことで事実上崩壊し、円楽一門を除いて落語協会に帰参する事となったが、このうち圓生、圓楽と共に三遊協会の中核を担っていたとされる六代目三遊亭圓窓だけが香盤を1枚下げられた例がある。
- ^ 当初は七代目橘家圓蔵・五代目月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)一門、古今亭志ん朝一門も追従して離脱したが、関係者などの説得を受けて、三遊協会の旗揚げ前に脱退して落語協会に復帰した。
- ^ 例として、笑福亭鶴光(初めての弟子は笑福亭學光)は入門8年、笑福亭鶴瓶(初めての弟子は笑福亭笑瓶)は入門9年、三代目笑福亭仁鶴(初めての弟子は笑福亭仁智)・二代目桂春蝶(初めての弟子は桂昇蝶)・二代目桂枝雀(初めての弟子は桂音也および三代目桂南光)はそれぞれ入門10年で、初めての弟子を採っている。
- ^ 例として、1994年に当時の協会執行部(露の五郎ら)と対立した二代目桂枝雀一門が協会を脱退したが、その収拾策を話し合っていた席上で一人の理事の発言がきっかけとなり、兄弟子の枝雀を慕っていた二代目桂ざこばが激怒して枝雀に追従する形で協会を脱退する事態も起きている(本人記事参照。10年後の2004年に協会に復帰)。
- ^ ただし、雷門獅篭(現:登龍亭獅篭)門下に2018年に入門した雷門獅鉄(現:登龍亭獅鉄)、2021年に入門した登龍亭篭二、2023年に入門した登龍亭篭登(休業中)、獅篭の弟弟子である登龍亭幸福に2022年に入門した登龍亭幸吉はそれぞれ「前座」となっているので、落語家の身分制度の完全な否定ではない。なお、獅鉄については3年の修業の後に2021年11月に「年季明け」となってその披露興行も行われており、江戸落語と上方落語の双方の身分制度をミックスさせていると言える。
- ^ ただし、都の入門以前に春風亭笑橋(六代目春風亭柳橋門下、元東京あんみつ娘の初代柳ほくろ、「女子高生落語家」の肩書で活動し二代目春風亭梅橋との結婚のため廃業)や林家パー子(初代林家三平門下、林家ペーの妻)も「落語家」の肩書で活動していた時期があり、厳密にいえば「女性初」ではなかったものの、本格的な女性プロ落語家という観点では都が初と言える。
- ^ 歌る多、菊千代のほか、林家きく姫、川柳つくし、林家ぼたん、柳亭こみち、古今亭駒子、弁財亭和泉、三遊亭律歌、蝶花楼桃花、林家つる子(香盤順)。
- ^ 桂右團治、橘ノ杏奈、春風亭鹿の子(2023年廃業)、三遊亭藍馬、雲龍亭雨花(香盤順)。落語芸術協会客員となった東方落語(東北弁落語)真打の六華亭遊花(落語芸術協会仙台事務所所属、芸協としては三代目三遊亭遊三門下)も含めると6名になるが、落語芸術協会としては遊花は「客員」扱いとなっている。
- ^ 落語協会との関係が深い講談協会所属女性講談師の一龍斎貞寿、五代目宝井琴鶴、一龍斎貞鏡が交互で出演した。
- ^ 出演日順に桃花、律歌、きく姫、駒子、ぼたん、こみち、菊千代、和泉、つくし、歌る多。真打昇進披露興行期間中のつる子を除いて女性真打が交代で主任を務めた。
- ^ 桂二葉、月亭八織、露の紫、桂鞠輔、桂おとめ、桂ぽんぽ娘、月亭天使(出演日順)。
- ^ 故人となった惣領弟子の露の雅(2017年1月死去)以外、2023年現在で門下の現役の女性噺家は露の眞、露の紫、露の瑞(元桂雀々門下)、露の棗、露の陽照、露の庚(一門プロフィールには未掲載)がいる[18]。
- ^ このほか、文生の弟子の桂きん治(当時:二ツ目、現:桂扇生)が師に従い移籍した。
- ^ 芸協入会時点で当時の香盤は真打の最下位に列された。
- ^ このほか、談幸の弟子の立川吉幸・立川幸之進(どちらも当時:二ツ目)が師に従い移籍したが、吉幸・幸之進は一定期間の前座修業を課されている。
- ^ 入会から2年間は準会員、その後2017年1月に正会員となるも香盤は別枠とされたが、2019年6月より通常の香盤に組み入れられた。
- ^ 風間杜夫、森末慎二(金メダル亭慎二)、山田隆夫(鈴々舎鈴丸)、にしゃんた、友近、テリー伊藤(林家テリ平)、生島勇輝、田代沙織(父は桂歌春)、荻野アンナ、ダイアン吉日などのほか、かつて立川流Bコースとして名を連ねていた高田文夫(立川藤志楼)、ビートたけし(立川錦之助/立川梅春)、ミッキー・カーチス(ミッキー亭カーチス)など。また、医師でもあった立川らく朝(2021年死去)は、当初は志らくの客分の弟子であったが正式に入門、前座から修業し真打になっている。
- ^ 本人の著書「借金2000万円返済記」(ISBN 9784893086396)と「快楽亭ブラックの放送禁止落語大全」(ISBN 9784862480217)に除名された経緯が詳細に記されている。
- ^ 瀧口雅仁(オフィスぼんが)著『噺家根問』ISBN 978-4779112973 参照。なぜ岡山かも記述してある。
- ^ 「八十八」は米朝の俳号であり、系譜上で初代は米朝となり、宗助は二代目の扱いとなる。
- ^ 十代目桂文治、三代目三遊亭圓歌、五代目三遊亭圓楽、桂歌丸など。
- ^ 八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、八代目林家正蔵(後の林家彦六)、六代目三遊亭圓生、春風亭柳昇など。
- ^ 桂三枝(現:六代目桂文枝)、桂文珍、立川志の輔、春風亭小朝など。
- ^ 父は宝塚市長、衆議院議員などを務めた阪上善秀。
- ^ 五代目笑福亭松鶴の実孫。
- ^ 廃業後も師匠であった六代目三遊亭円楽の身内として、落語会などに出演することがある。
- ^ タレント転向後、改めて「落語立川流Bコース」(談志が認めた著名人などが加入する)に入門している。
- ^ もっとも、圓生は新作落語は完全には否定はしておらず、自身に書き下ろされた宇野信夫などの作品をホールで口演もしている。
出典
- ^ 関山和夫『落語名人伝』[要追加記述]
- ^ a b 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.43-45, pp.185-186
- ^ 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.189-190
- ^ “落語家の階級”. 落語芸術協会. 2018年6月18日閲覧。
- ^ 海老名香葉子さん、こん平さんの思い出を手紙に「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」 - サンスポ 2020年12月22日
- ^ この時出演した新真打は、(落語芸術協会)桂翔丸・柳亭明楽・春風亭吉好、(五代目円楽一門会)三遊亭とむ改め錦笑亭満堂、(落語立川流)立川こはる改め立川小春志。
- ^ “「落語立川流」が一般社団法人に 代表に志の輔”. 中日新聞 (2024年6月18日). 2024年6月19日閲覧。
- ^ 次期上方落語協会会長に笑福亭仁智さん…桂文枝さんの後任「大事に継承したい」 - 産経ニュース 20218年4月26日
- ^ 「上方落語・噺家成人式」公演、入門から15年となる落語家を対象 真打制度導入は継続審議 - 日刊スポーツ 2024年3月25日
- ^ らくだの寝床:東海らくご事情「なごや雷門」淘汰か進化か(愛知) - まいまいクラブ・2012年5月10日
- ^ a b 日本初の女性落語家 客に「女が落語やるなんて気持ち悪い」 - 週刊女性PRIME 2016年3月20日
- ^ “談志一門初の女性「立川こはる」が乗り越えた男尊女卑の壁”. smart FLASH. 光文社 (2019年10月8日). 2019年10月8日閲覧。
- ^ 落語協会の5人の新真打ちが抱負 150人が門出祝う - スポーツ報知 2018年8月29日
- ^ 令和6年 春 真打昇進決定 - 一般社団法人 落語協会 2023年4月1日
- ^ 落語協会、12年ぶり抜てき真打ち 次世代ホープの林家つる子、三遊亭わん丈が来年3月昇進 - スポーツ報知 2023年4月1日
- ^ 結成2年半、女性落語家グループ「落語ガールズ」の団結のパワー - 鶴田智 - 論座 2020年6月7日
- ^ 【PRESS RELEASE】浅草演芸ホールで「桃組」公演開催 主任は寄席のプリンセス・蝶花楼桃花 東洋興業株式会社のプレスリリース - PR TIMES 2023年1月26日
- ^ 露の都一門 - 露の都 公式サイト
- ^ 『NHK新人落語大賞』桂二葉、女性初の栄冠 歴史を塗り替え「ものすごくうれしい」 - ORICON NEWS 2021年11月23日
- ^ 寄席演芸家年鑑は、2023年版は「東都」のため上方芸人の記載は無い。
- ^ a b 瀧口雅仁 (2007). 噺家根問 雷門小福と桂小文吾. 彩流社. pp. 11-100. ISBN 9784779112973
- ^ 登龍亭一門に新しい風 名古屋落語史上、最多に - 読売新聞オンライン 2021年9月23日
- ^ 東都寄席演芸家年鑑 「三遊亭はらしょう」の項. 東京かわら版. (平成31年1月1日). p. 236. "「フリーの演芸家 落語」の項目に掲載されている。"
- ^ 渡辺美紀. “林家きなこ 「入門の経緯」”. 10倍伝わる話し方 渡辺美紀. 2020年9月18日閲覧。
- ^ 映画「二つ目物語」(林家しん平監督)に、落語協会事務員役として出演している。
- ^ 佐藤友美 編『東京かわら版 2023年7月号 一行情報』東京かわら版、2023年6月28日、114頁。ISBN 9784910085357。
- ^ 2022年落語協会「謝楽祭」動画に出演している。
- ^ “春の新メンバー発表!”. 神田連雀亭. ameba blog (2019年3月1日). 2019年5月5日閲覧。 “<フリー>三遊亭はらしょう(ドキュメンタリー落語)”
- ^ 宮原勝彦 (2020年7月29日). “「二つ目」落語家、北九州に拠点 「古里でファン増やせ」師匠後押し”. 西日本新聞
- ^ 5代目柳家小さん 『咄も剣も自然体』[要追加記述]
落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:28 UTC 版)
系図により表す。太字は現役会員、細字は非会員、†印は物故者、※は廃業者、名跡の後の数字は代数を表す。
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落語家
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桂勢朝(1961年 - ) 春風亭勢朝(1962年 - ) このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。
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落語家
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明石家のんき、パーポ明石(弟は現在バレエダンサー、バレエ講師として活動) 十代目金原亭馬生、三代目古今亭志ん朝 林家たま平、林家ぽん平(父は九代目林家正蔵) 柳家金語楼、三遊亭金時、二十四代目昔々亭桃太郎 四代目麗々亭柳橋、昔々亭桃太郎(二代目桃川如燕)、五代目麗々亭柳橋(次男は講談師として活動。父は落語家の三代目麗々亭柳橋)
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落語家
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横浜市立吉田中学校在学中に、遊郭内の永真診療所で行われた慰労会の席で、当時二つ目だった5代目春風亭柳昇の落語を聴いて、落語家になる決意を完全に固めた。 そして、NHKの出版部にいた遠縁の親戚を通じて誰に弟子入りしたらよいかを相談し「一番面倒見の良い人だから」という理由で5代目古今亭今輔を薦められ、中学3年だった1951年(昭和26年)に入門することになる。ちなみに本人は「噺家になれさえすれば師匠は誰でも良かった」とのこと。 はじめに兄弟子で、後の師匠である米丸の初名だった「古今亭今児」を名乗る。その際今輔から言われたことは「歌舞伎を見ろ」。今輔によると歌舞伎を見ることは落語に活きるからだと言い、実際自ら演じる際はそのエピソードをマクラで語っている。 このためか、中村吉右衛門出演の歌舞伎をよく見に行っており、歌丸曰く「仕草や立振舞などを見て落語に活かすため」とのこと。ちなみに吉右衛門曰く、「歌丸師匠は歌舞伎を見るのにいい席に座っている」とし、「舞台から見ても歌丸だとすぐにわかる」らしい。ただし、両者に直接的な面識はまったくなかったとのことで、歌丸は、吉右衛門と『鬼平犯科帳』で共演していた三代目江戸家猫八に「吉右衛門のサインをもらってきてほしい」と頼んだとのことである。後に吉右衛門は、頭をなでながら「いろいろと照れ屋さん」と歌丸を評している[要出典]。 今輔門下から兄弟子・4代目桂米丸門下へ移籍したのは、当時芸術協会で勃発した香盤(序列)問題や、今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発している。この一件で今児は破門状態となり、一時、ポーラ化粧品本舗のセールスマンへ転職するが、三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)の肝いりで落語界に復帰。しかし今輔が付けた条件により兄弟子・米丸門下となった(米丸も「浜っ子」である)。なお歌丸の著書によれば新師匠の米丸からは入門に際して寄席の初日と中日には必ず今輔宅に顔を出すことを言いつけられた。そのおかげで今輔とは破門以前と同様の関係を維持することができ、後述のように寄席などでの真打昇進興行や口上にも今輔は出演している。 一部記事等では、1961年(昭和36年)に「今輔死去に伴い兄弟子米丸門下に移籍」との表記があるが、これは誤り。米丸門下に移籍したこと自体は1961年(昭和36年)のことだが、先述のように今輔一門からの事実上の破門状態になったことによるもので、今輔死去は1976年(昭和51年)である。実際に、1968年(昭和43年)に行われた『笑点』での歌丸の真打昇進披露口上では、今輔と米丸が揃って登場している。 米丸の弟子になって「古今亭今児」から「桂米坊」に改名したが「額のあたりが広くなってきた」うえに「子供っぽい」と言われたことから1964年(昭和39年)1月、「桂歌丸」に再改名。どちらも米丸が考案して付いた名である(したがって歌丸は当代が初代)。歌丸本人は「歌丸」の由来を米丸に尋ねることはなかった。 口調の違いがあったことから米丸はほとんど稽古を付けず、歌丸(米坊)は専ら米丸のラジオ番組の構成などを手掛けていた。しかし、これで放送局関係等にコネクションができたほか、ネタ作りの鍛錬になり、古典の掘り起こしの際の一部改作や独自のくすぐりを入れたりするのに役に立ったという。 1978年(昭和53年)に起きた落語協会分裂騒動の際、新しくできた落語三遊協会に5代目三遊亭圓楽を通じて、参加を要請されたが、歌丸自身は上記の経緯で米丸一門に移籍したと説明し、参加を断っている。 自身の弟子の高座名は、歌丸の「歌」の文字を頭に付けることを原則としているが、一番下の弟子だった3代目桂枝太郎のみ、本人の希望により二つ目時代は「丸」の付いた名前が欲しいとしたため、「花丸」を名乗らせていたとしている。歌丸曰く「学校の時の成績がよっぽど悪かったため、名前だけでも丸が欲しかったのではないか(笑)」として、「花丸」になったとのこと。あとの4人は、預かり弟子でもある惣領弟子の歌春(歌丸門下になったと同時に「歌はち」に改名していた)を含め、すべて「歌某」の高座名である。
※この「落語家」の解説は、「桂歌丸」の解説の一部です。
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落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:58 UTC 版)
「千葉県出身の人物一覧」の記事における「落語家」の解説
鈴々舎馬風(5代目):野田市 - 落語協会元会長。 三遊亭遊朝 むかし家今松 (7代目):松戸市 桂米助(ヨネスケ):市原市 - タレント活動(特にTVコーナー『突撃!隣の晩ごはん』)が有名。 吉原朝馬(4代目):多古町 おきらく亭はち好:市川市 金原亭龍馬:千葉市 金原亭馬治:千葉市 三遊亭金遊:香取市 三遊亭笑遊:船橋市 三遊亭楽麻呂:船橋市 三遊亭とん楽:柏市 三遊亭遊雀:船橋市 三遊亭遊かり 古今亭菊之丞:市川市 柳亭左龍 (6代目):柏市 桂南なん 桂文雀:四街道市 柳家三之助:銚子市 春風亭一之輔:野田市 春風亭小柳枝 (7代目):野田市 春風亭昇々:松戸市 柳亭芝楽 (11代目):木更津市 立川吉幸:勝浦市 立川こしら:東金市 立川志ら玉:鎌ケ谷市 立川談修:船橋市 雷門小助六:松戸市 川柳つくし:市川市 三遊亭金朝(4代目):成田市 月の家小圓鏡:松戸市 桂右女助 (4代目):横芝光町 - 千葉文学賞受賞 桂伸衛門:習志野市
※この「落語家」の解説は、「千葉県出身の人物一覧」の解説の一部です。
「落語家」を含む「千葉県出身の人物一覧」の記事については、「千葉県出身の人物一覧」の概要を参照ください。
落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:58 UTC 版)
古今亭菊龍 古今亭志ん弥 古今亭菊丸 古今亭菊春 古今亭菊千代 古今亭菊寿 古今亭菊輔 三代目古今亭圓菊 - 圓菊の長男 古今亭菊之丞 古今亭菊志ん 古今亭菊太楼 古今亭文菊 真打昇進順による。なお、入門順にすると1.菊龍、2.志ん弥、3.菊春、4.菊丸、5.菊寿、6.菊輔、7.菊千代、8.三代目圓菊、9.菊之丞、10.菊志ん、11.菊太楼、12.文菊となる。
※この「落語家」の解説は、「古今亭圓菊」の解説の一部です。
「落語家」を含む「古今亭圓菊」の記事については、「古今亭圓菊」の概要を参照ください。
落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 02:01 UTC 版)
志ん五の死後は全員六代目古今亭志ん橋門下となる。 古今亭朝太 - 師匠志ん朝死去に伴い移籍 古今亭志ん公 古今亭志ん八 古今亭大五朗
※この「落語家」の解説は、「古今亭志ん五」の解説の一部です。
「落語家」を含む「古今亭志ん五」の記事については、「古今亭志ん五」の概要を参照ください。
落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 19:25 UTC 版)
前記の通り、落語家は基本的に立ち高座だった(テロップでは「立体落語」と紹介されていた)。そのためか新作落語に強い人や、話術に優れている人が多かった。 初代林家三平 5代目月の家圓鏡(のちの8代目橘家圓蔵) 古今亭志ん朝 三遊亭小金馬(4代目三遊亭金馬を経て現:2代目三遊亭金翁) 3代目三遊亭圓歌 4代目桂米丸 柳家金語楼 ほか
※この「落語家」の解説は、「大正テレビ寄席」の解説の一部です。
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落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:19 UTC 版)
「山梨県出身の人物一覧」の記事における「落語家」の解説
柳家つば女((社)落語協会所属):南都留郡 三遊亭小遊三((社)現落語芸術協会参事):大月市。※ただし生まれは神奈川県横浜市 古今亭寿輔:((社)落語芸術協会所属):甲府市。 林家正雀:((社)落語協会所属):大月市。 三遊亭圓龍:((社)落語協会所属)北杜市。 春風亭弁橋:韮崎市
※この「落語家」の解説は、「山梨県出身の人物一覧」の解説の一部です。
「落語家」を含む「山梨県出身の人物一覧」の記事については、「山梨県出身の人物一覧」の概要を参照ください。
落語家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:17 UTC 版)
笑福亭笑光 笑福亭迷光 笑福亭大五郎 笑福亭扇光 笑福亭真光 笑福亭久光 笑福亭新之介 - 鶴光の長男。 笑福亭光壱 笑福亭つぐみ - 女流、1999年入門。 笑福亭典光 笑福亭乃光 - 本名∶出来谷 純一。破門された逆恨みで脅迫事件を起こし逮捕された。
※この「落語家」の解説は、「笑福亭鶴光」の解説の一部です。
「落語家」を含む「笑福亭鶴光」の記事については、「笑福亭鶴光」の概要を参照ください。
「落語家」の例文・使い方・用例・文例
- 私の息子は落語家になろうとした。
- 落語家は世間の
- (落語家が)罪の無いお噺を一席伺います
- 落語家の定席
- 真打という,落語家に与えられる最高資格
- 落語家という職業
- 落語家という職業の人
- 落語家の芸名の苗字
- 田中耕一氏は落語家の桂米(べい)朝(ちょう)氏を含む他の15名とともに文化功労者にも選ばれた。
- 桂米朝氏は文化功労者になった最初の落語家だ。
- 3月13日,落語家で人気テレビタレントの林(はやし)家(や)こぶ平(へい)さんが,新しい名前の襲名披(ひ)露(ろう)のため,上野と浅草でパレードをした。
- その名前は,江戸時代から続いており,林家一門の名人落語家に与えられる。
- 落語家がパレードをするのは異例だったが,14万人以上の人々がこぶ平さんを激励しようと集まった。
- こぶ平さんは,全力を尽くし,よりよい落語家になることに打ち込むつもりだと語った。
- 落語家になった後,英語で公演をしようと決めました。
- 1980年に亡くなった林(はやし)家(や)三(さん)平(ぺい)さんは偉大な落語家だった。
- 三平さんの次男で落語家の林家いっ平(ぺい)さん(38)は2代目林家三平になることが決まっている。
- 林家木(き)久(く)扇(おう)さんや春(しゅん)風(ぷう)亭(てい)小(こ)朝(あさ)さんら人気落語家が勢ぞろいし,いっ平さんの新たな門出を祝福した。
- 公演を行ったのは,落語公演のためによく海外に出かけている落語家の桂(かつら)小(こ)春(はる)団(だん)治(じ)さん(52)だった。
- 彼は落語家として初めてブロードウェイで公演を行った。
落語家と同じ種類の言葉
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