古今亭志ん生 (5代目)
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五代目 古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年6月5日 - 1973年9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名∶美濃部 孝蔵。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。戦後を代表する落語家の一人と称される。
注釈
- ^ 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』288頁、矢野誠一 『志ん生のいる風景』 42-44頁。資料によっては父親の名を「戌行」と記しているが、「戌」は訓読みで「いぬ」と読む。「まもる」という意味の「戍」とは全く別の漢字であり、誤記である。
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 42-44頁。5代目志ん生当人によれば生家は美濃部家の分家で旗本時代の禄高は八百石であり、美濃部本家は禄高三千石であったとの事だが、結城昌治の旗本武鑑を根拠とする調査結果では美濃部本家が禄高五百石、同族に七百石や八百石の家があるが祖父の名では該当者なし。しかし親類に禄高三千石余りの大身旗本があり、祖父が旗本だった事も間違いない、と推定している。ただし、同時に結城昌治は旗本武鑑そのものの信頼性に対する疑義も指摘している。
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 43頁。支給金で本郷の切通しに土地を購入して家を建てたが、連帯保証の負債を清算するために程なく手放して神田亀住町の長屋に転居した。
- ^ なお、この頃、「ステテコの圓遊」こと初代三遊亭圓遊と親密だったという。
- ^ 結城昌治 「美濃部孝蔵(五代目古今亭志ん生)年譜」 『志ん生一代 下巻』321-326頁
- ^ 後年、5代目志ん生は「物資不足で満足酒が飲めなくなったから満洲に渡った」と語っていたが、実態は第三者からの依頼によるもの。6代目圓生は、母親の逝去で旅に出られなくなった5代目古今亭今輔の代わりに満洲に渡った。
- ^ 美濃部美津子 『三人噺』 50-54頁。空襲の度に恐怖でパニックを起こす5代目志ん生を長女である著者が見かねて、向こうは空襲がないからと話が来た時に満洲行きをすすめた。
- ^ これは、圓生が生活の便宜上現地で日本人女性と結婚生活を送り、志ん生と生活を別にしていたことが一因である。先に帰国した志ん生を見捨てられたと思いかなり恨んだものの「あんな薄情な奴は殺してやろうと思ったが、寄席で謝ったから殺すのはやめちゃった」と小山觀翁に語ったという。
- ^ 後年、本人が語ったところによれば、上陸地の唐津から「○○ヒカエル、サケタノム」という趣旨の電報を打電しようとしたところ、係員に咎められ、どういうわけか、「○○ヒ、サッポロニツク、ムカエタノム」と書き換えられてしまったという。これを見た家族は、長男の10代目金原亭馬生に寄席を休ませ、北海道まで迎えに行かせることにした。しかし、知人の新聞記者から札幌に一番近い小樽港につく船はないといわれ、まごついていたところに志ん生が帰宅し、非常に驚いたという。
- ^ 通常の寄席興行を行わない月末の31日のこと。独演会などの特別興行を行うことが多い。
- ^ 美濃部美津子 『三人噺』 73-74頁。長女の美津子もニッポン放送に入社した。その当時の志ん生の公開録音は制限時間を超えることが多く、それを時間内に収まるように美津子が編集していたらしい。
- ^ 美濃部美津子 『三人噺』 71-72頁。後に離婚したので姻戚関係は解消された。
- ^ 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』297頁。5代目志ん生当人によれば6月5日生まれとのことだが、戸籍上は6月28日である。
出典
- ^ “著者紹介 美濃部美津子”. 扶桑社. 2023年9月1日閲覧。
- ^ 「おくやみ 美濃部美津子さん死去 落語家の故五代目古今亭志ん生の長女、作家」『東京新聞』、2023年8月30日。
- ^ a b c d e f g h 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』 321-341頁、年譜(小島貞二編)
- ^ 小島貞二『志ん生の忘れもの』79頁には、父親が大事にしていた煙草入れを無断で売り、長押の槍で成敗されそうになって家を飛び出し、それきりだったとある。これは性分みたいなもので、晩年には、骨董品を買っては売り買っては売りを繰り返し、息子の馬生の品物を勝手に売ったりもしている。
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』47-83頁
- ^ 「五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵)年譜」 『総特集古今亭志ん生』204頁
- ^ 結城昌治 「美濃部孝蔵(五代目古今亭志ん生)年譜」 『志ん生一代 下巻』 321-326頁
- ^ 橘左近 『東都噺家系圖』 81頁
- ^ 小島貞二 『私の中の志ん生』
- ^ りんの実家は元は埼玉だったが、後に新井薬師で駄菓子屋を経営。/美濃部美津子『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』pp.43-44による。
- ^ 10代目金原亭馬生 「父・志ん生の人と芸」 『志ん生讃江』 46-51頁
- ^ 川戸貞吉編 「五代目古今亭志ん生2 柳家小さん 川戸貞吉」 『対談 落語芸談4』 176-177頁。
- ^ 金原亭馬生・小島貞二 「はだかの志ん生」 『総特集古今亭志ん生』 158-175頁
- ^ 川戸貞吉編 「五代目古今亭志ん生2 柳家小さん 川戸貞吉」 『対談 落語芸談4』 179-180頁
- ^ 結城昌治 『志ん生一代 下巻』200-201頁
- ^ a b 6代目三遊亭圓生 『新版寄席育ち』 254-256頁。
- ^ 6代目三遊亭圓生 『寄席楽屋帳』231-232頁
- ^ 古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』 294頁
- ^ 6代目三遊亭圓生 『寄席楽屋帳』 234-240頁
- ^ 川上哲治監督が遅刻して開会が遅れ、志ん生の口演が始まった時には食事の最中になっており、聴いている者が少なくて声を張り上げたのが原因とも。古今亭圓菊『背中の志ん生』五十二 - 五十三頁 。
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 209-211頁
- ^ 美濃部美津子 『三人噺』 68-69頁。文楽とは大の仲良しで、子供のいない相手に二女を養女に出そうとしたが、志ん生自ら送る途中で子供が泣くので引き返した。
- ^ 誰も看取った者がいないので、時刻は推定。前夜に長女に親子丼を作ってもらって半分食べ、夜9時頃酒を呑んで寝たが、深夜に血を吐いた(何度かあったものの、当夜は量が多かった)。矢野誠一 『志ん生のいる風景』 243-244頁
- ^ 結城昌治 「美濃部孝蔵(五代目古今亭志ん生)年譜」 『志ん生一代 下巻』321-326頁、橘左近 『東都噺家系圖』81頁を基に作成。
- ^ a b c 三遊亭円生・宇野信夫・坊野寿山 「志ん生のヒラメキ人生」 『総特集古今亭志ん生』 184-191頁
- ^ a b c d e f 三遊亭円生 「志ん生八方破れ一代記」 『総特集古今亭志ん生』 60-64頁
- ^ a b 京須偕充 「六代目三遊亭圓生 ―芸の非常と有情」 『みんな芸の虫』 12-14頁。
- ^ 興津要『落語の風土』134頁。
- ^ 宇野信夫 『私の出会った落語家たち 昭和名人奇人伝』 118頁
- ^ 5代目三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』115頁
- ^ 古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』 232-236頁
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 240頁
- ^ 5代目三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』114-115頁
- ^ 5代目三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』169頁
- ^ 小林信彦 『名人 志ん生、そして志ん朝』 〈朝日選書〉720、朝日新聞社、133頁
- ^ 古今亭志ん朝 「名人と芸 ―おやじ志ん生と文楽」 『CDブック 完全版 八代目桂文楽落語全集』 37頁
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 101-104頁
- ^ 京須偕充『落語名人会 夢の勢揃い』74頁。
- ^ 古今亭八朝・岡本和明編 『内儀さんだけはしくじるな』 216-217頁
- ^ 京須偕充 『落語名人会 夢の勢揃い』 78-82頁
- ^ 5代目三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』113-117頁
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 214-218頁
- ^ a b c d e f g h 川戸貞吉編 「五代目古今亭志ん生3 小山観翁 川戸貞吉」 『対談 落語芸談4』 191-229頁
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』113頁
- ^ 古今亭圓菊『背中の志ん生』156頁
- ^ 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』 109-111頁
- ^ 古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』 127-129頁
- ^ 「ピンチよさようなら 師匠の大事と戦う 美濃部りん」『志ん生! 落語ワンダーランド』72頁、読売新聞 1962年(昭和37年)11月18日付
- ^ 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』 240-242頁、274頁、268-271頁
- ^ 江國滋 『落語手帖』 135-137頁
- ^ 色川武大 『寄席放浪記』 56-57頁
- ^ 美濃部美津子『志ん生の食卓』(2008年、アスペクト)
- ^ 川戸貞吉編 「五代目古今亭志ん生2 柳家小さん 川戸貞吉」 『対談 落語芸談4』 183-184頁。
- ^ 保田武宏 『志ん生の昭和』 37-38頁より作成。
- ^ 小島貞二『志ん生の忘れもの』173頁。/初代は46歳、2代目は57歳、3代目54歳(襲名後1年足らず)、4代目は48歳(襲名後に体調が悪くなった)で没している。美濃部由紀子『志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ』187頁〜。他
- ^ 矢野誠一 『志ん生のいる風景』 129-138頁
- ^ 落語「巌流島」五代目古今亭志ん生 NHK名作選(動画・静止画)-NHKアーカイブス
- ^ 金原亭馬久・桃月庵こはく・金原亭小駒・桃月庵白浪・古今亭雛菊 ・古今亭菊正・金原亭杏寿。
- ^ “古今亭志ん生「風呂敷」を4Kカラー上映 NHK番組の公開収録イベント開催決定 放送はEテレで9月17日”. amass (2023年7月16日). 2023年7月16日閲覧。
- ^ 千葉直樹「「改名十数回」に「高座で居眠り」…人生そのものが落語だった昭和の名人の記憶【古今亭志ん生没後50年】」『讀賣新聞オンライン』、2023年9月12日。
- ^ “病から復帰した古今亭志ん生を追った読売国際ニュース(1962年)”. 讀賣新聞社 (2023年9月6日). 2023年9月30日閲覧。
- ^ 「Color the News 今年で没後50年…落語に愛され、人生そのものが落語と言われた古今亭志ん生が生きた昭和時代をカラー化」『讀賣新聞』、2023年9月26日、夕刊。
- ^ 川戸貞吉 『現代落語家論 下巻』 155-156頁
- ^ “NHK特集 びんぼう一代~五代目 古今亭志ん生~”. NHKアーカイブス. 2021年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。
- ^ 2019年 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」出演者発表 第2弾 NHKドラマ 2017年11月29日
- ^ 『11月号 横井洋司の写真館』東京かわら版、2005年10月28日、43頁。
- ^ 千葉直樹「「昭和の名人」古今亭志ん生没後50年追善興行…新宿末広亭9月中席に人間国宝・雲助ら一門が勢ぞろい」『讀賣新聞オンライン』、2023年8月7日。
- ^ その他に少なくとももう一人女弟子がいたらしい。古今亭圓菊『背中の志ん生』187-188頁。写真有
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