坊野寿山とは? わかりやすく解説

坊野寿山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 00:36 UTC 版)

坊野 寿山(ぼうの じゅざん、1900年9月9日 - 1988年10月25日)は、日本の川柳家。本名は寿三郎。花柳界を舞台にした川柳「花柳吟」の第一人者として知られた。また落語家たちと長年の深い交流があり、落語家たちの川柳会を師匠役として主催した。

経歴・人物

東京府東京市日本橋区橘町(現・東京都中央区東日本橋三丁目)の、裕福な木綿問屋の五男として生まれる。中央商業(現在の中央大学商学部)在学中の1921年に、学友と「二十日会」を結成し、本格的に川柳を始める。

また落語好きであったことから、「旦那」として噺家たちとの交流がはじまる。甚語楼時代の5代目古今亭志ん生など、貧乏な噺家たちの面倒をみた。

1930年(または1931年)、4代目柳家小さん5代目三遊亭圓生の依頼により、落語家の川柳会「鹿連会」の師匠となる。他のメンバーに、8代目桂文楽7代目三笑亭可楽、柳家甚語楼、5代目蝶花楼馬楽6代目橘家圓蔵蝶花楼馬の助橘家圓晃初代林家正楽桂文都8代目柳家小三治(後に、落語協会事務長)、春風亭柳楽。2年間活動したが、後に「句を直すとすぐに文句を言われるし、大変だった」と回想している。

一方で、「連れ込み旅館」(自称)を経営。噺家たちが、女性との逢引にしばしば、利用したという。

戦後の1953年に、「第二次鹿連会」を6代目三遊亭圓生を幹事役として始める。選者には、川柳界の長老で僧侶でもあった、西島〇丸(れいがん)も加わった。メンバーは、8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生、初代林家正楽、7代目橘家圓蔵3代目桂三木助2代目三遊亭円歌5代目柳家小さん2代目桂右女助10代目金原亭馬生8代目春風亭柳枝。この会は長年続き、噺家たちに寿山が絵を教えたり、三越名人会で「鹿連会」の企画で川柳を即興で詠んだりしたが、会員たちの大半が寿山より先に死去したため、自然消滅した。

その他にも、「子鹿会」「鹿柳会」「鹿苦会」など、若手噺家たちの川柳会でも師匠をつとめた。

また、戦後の「鹿連会」には入らなかったが、林家彦六とも親密で、彦六が「正蔵」の名跡を海老名家に返す際に、同行したという。また、彦六、宇野信夫東京新聞の富田宏、TBSの出口一雄との5人で「はしば会」という会を作り、日本橋「たいめいけん」で食事をしながら歓談をしていたこともある。

死去の4年前の1984年、84歳で、噺家たちとの交流を回想した著書『粗忽長屋 文楽、志ん生、円生の素顔』を刊行。言及される「名人」たちの大半が故人であり、また寿山は彼等の「師匠」でもあったため、遠慮がない筆致で噺家たちの(弱点、欠点も含めた)生々しい素顔を伝えた。

著書

出演

  • NHK特集「びんぼう一代 ~五代目古今亭志ん生~」(1981年3月27日、NHK総合

参考資料

  • 延広真治「坊野寿山 花柳吟と鹿連会」(雑誌『川柳学』創刊号(2005年秋号)に収録)
  • 美濃部由紀子(編集協力)「噺家が詠んだ昭和川柳 落語名人たちによる名句・迷句500」(2019年1月、メイツ出版)

坊野寿山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)

三遊亭圓生 (6代目)」の記事における「坊野寿山」の解説

川柳家の坊野寿山を師匠にして、圓生世話役で、文楽、志ん生らが会員の、川柳勉強会「鹿連会」を長年やっていた。だが、圓生死後寿山執筆した粗忽長屋』(創拓社)で、「ケチで金に細かい」人物であったエピソード多数暴露されている。 圓朝塚のある全生庵に、圓生が「圓生塚」を作るので、寿山に「塚の文を書いて欲しい」と頼んだが、その後、まったく礼もなく、新宿中村屋の一番安いパン持ってきただけだった。しばらくして圓生塚」で法事をしたので寿山は「香典」を出したが、「香典返し」もなかった。 圓楽売れだしたが、彼が病気のため、圓楽仕事圓生代わりに行ったことがある帰ってきた圓生は「圓楽ふざけた野郎ですよ。あたしより高いお給金もらっているんですから」と怒っていた。 『圓生全集』を出版した時、本来、本を進呈すべき寿山などの「世話になっている人々」にも、圓生は本を売りつけた。 落語協会脱退後歌舞伎座独演会をやるというので、圓生からの年賀状に「切符三百さばいてくれないか」と書いてあった。寿山ひとりではとても三百さばけない思っていると、同じ文面年賀状三通届いた。 おしゃれであったが、服が汚れるのを嫌い、子供がすりよってくると身をよじってよけた。また、下駄に穴をあけた時、「唾で直るんじゃないか」とその穴を懸命に舐めていたことがある

※この「坊野寿山」の解説は、「三遊亭圓生 (6代目)」の解説の一部です。
「坊野寿山」を含む「三遊亭圓生 (6代目)」の記事については、「三遊亭圓生 (6代目)」の概要を参照ください。

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