三遊亭鳳楽とは? わかりやすく解説

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三遊亭鳳楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 21:08 UTC 版)

三遊亭 さんゆうてい 鳳楽 ほうらく

三ツ組橘は、圓楽一門の定紋
本名 内田 啓次
生年月日 (1947-03-01) 1947年3月1日(78歳)
出身地 日本埼玉県川越市
師匠 五代目三遊亭圓楽
六代目三遊亭圓生
弟子 三遊亭楽松
三遊亭鳳志
三遊亭鳳笑
三遊亭鳳月
名跡 1. 三遊亭楽松
(1965年 - 1979年)
2. 三遊亭鳳楽
(1979年 - )
出囃子 松の太夫
正札付
活動期間 1965年 -
所属 落語協会
(1965年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年 - 1980年)
大日本落語すみれ会
→落語円楽党
→落語ベアーズ
→円楽一門会
五代目円楽一門会
(1980年 - )
受賞歴
第6回NHK新人落語コンクール最優秀賞(1977年)
日刊飛切落語会若手落語家奨励賞(1978年)
文化庁芸術祭賞(1993年)
備考
円楽一門会会長
(2007年 - 2015年)
円楽一門会顧問
(2015年 - )

三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 - )は、埼玉県川越市出身の落語家五代目圓楽一門会顧問。出囃子は『松の太夫』または『正札付』。本名:内田 啓次。

来歴

1965年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。五代目圓楽の総領弟子であり、圓楽の師匠・六代目三遊亭圓生にとって初の孫弟子であった。前座名は圓生の本名「山崎松尾」から一字をとり「楽松」と名付けられた[注釈 1]。入門時に師匠の圓楽は自身の活動が忙しく、また当時は大師匠・圓生の身の回りの世話をする前座がいなかったため、圓生のもとに預けられて修行する。圓生は「初孫」として可愛がってくれたが、稽古の時だけは怖ろしかったという[1]

1972年11月に柳家さん喬五街道雲助柳家さん治金原亭駒三三遊亭梅生立川談十郎とともに二ツ目昇進。1977年、第6回NHK新人落語コンクール最優秀賞を受賞。1978年、日刊飛切落語会若手落語家奨励賞を受賞する。この年に勃発した落語協会分裂騒動で大師匠・圓生、師匠・圓楽とともに落語協会を脱退。

1979年9月に真打昇進し「鳳楽」と改名。帝国ホテルで真打昇進披露宴が行われた1979年9月9日は、直前の9月3日に急逝した大師匠・圓生の初七日にあたったが、前年の落語協会分裂騒動の遺恨をこの時は捨て、落語協会落語芸術協会の多数の噺家と全寄席の席亭が出席、落語界全体が鳳楽の昇進を祝おうという雰囲気に包まれた[2]。圓生存命中に真打が内定していた孫弟子も、鳳楽のみである。

1993年文化庁芸術祭賞2007年、師匠・圓楽の引退表明により、円楽一門会(のちの五代目円楽一門会)の会長に新任する。

2015年、五代目円楽一門会会長の座を三遊亭好楽に譲り、同会顧問に就任。2023年頃からは両国寄席や一門会などへの出演を控えている。

人物

全国各地の蔵元に太いパイプを持っている。

1978年から2024年3月まで静岡放送のラジオ番組にレギュラー出演し続けた。2022年現在は静岡市葵区に在住している。

七代目圓生襲名の話が出たが、事実上頓挫している

芸歴

  • 1965年10月 - 五代目三遊亭圓楽に入門、前座名「楽松」を名乗る。
  • 1972年11月 - 二ツ目昇進。
  • 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に落語協会を脱退。
  • 1979年9月 - 真打昇進、「鳳楽」と改名。

受賞歴

役職

  • 2007年 - 円楽一門会会長
  • 2015年 - 五代目円楽一門会会長顧問

出演

映画

ラジオ

  • 藤村有弘の東海道それゆけ4時間(1978年10月 - 、SBSラジオ[3] - アシスタント
  • 三遊亭鳳楽の東海道それゆけ4時間(SBSラジオ) ※藤村有弘死去後、メインパーソナリティとなる。
  • 鳳楽の懐メロ電話リクエスト(1991年10月4日 - 、SBSラジオ) ※パートナーは鈴木通代(当時SBSアナウンサー)
  • 鳳楽・上ちゃんの歌謡曲 電リクでナイト(2003年 - 2020年3月23日、SBSラジオ、月曜19時-21時) ※パートナーは上原孝男(元SBSアナウンサー)
明治元年(1868年)にハワイに渡った日本人移民150周年を記念して、2018年4月7日、ホノルルの日本語ラジオ局KZOOで『歌謡曲 電リクでナイト』3時間出張生放送が行われている。鳳楽と上原に加えて同局の裕子・リン・ナカイがパーソナリティーを務めた。SBSラジオでは後日ダイジェストを番組内で放送。
  • 三遊亭鳳楽の歌謡曲サンデーリクエスト(2020年4月5日 - 2024年3月31日、SBSラジオ、日曜19時-20時) ※パートナーは上藤美紀代(元SBSアナウンサー)→片川乃里子(元静岡朝日テレビアナウンサー)

テレビ

作品

著書

CD

DVD

  • 三遊亭鳳楽独演会(静岡新聞社
    1. その一 夏の夜噺
    2. その二 冬の夜噺
    3. その三 春の夜噺

一門弟子

真打
二ツ目
廃業

脚注

注釈

  1. ^ 「楽松」の名前は「鳳楽」に改名後、自身の惣領弟子に名付けられた。

出典

  1. ^ 知ってるつもり?!』(1998年1月18日、日本テレビ
  2. ^ 道江達夫 (2001年8月15日). 昭和芸能秘録 東宝宣伝マンの歩んだ道. 中公文庫. pp. 380-381. ISBN 4122038766 
  3. ^ 三遊亭鳳楽独演会 その一 夏の夜噺”. 静岡放送. 2019年9月9日閲覧。 “昭和53年/(略)この年静岡放送に初登場、以来SBSラジオのパーソナリティーをつとめる”

外部リンク


三遊亭鳳楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)

三遊亭圓生 (6代目)」の記事における「三遊亭鳳楽」の解説

5代目三遊亭圓楽門下圓生孫弟子だが圓生の下で内弟子修行をした三遊亭鳳楽(当時三遊亭楽松)は、着物粗末なのはかまわないがみっともないのはいけないと着物襦袢・帯をセットもらった夫人からもたびたび圓生内緒着物もらったが、着用して目の前にいても「おやおや、お前にほれてんのかね」等と冗談めかして言うだけで別段咎められはしなかった。上記坊野寿山並べ立てたエピソードのようなケチな面ばかりでは無かった事が見て取れる

※この「三遊亭鳳楽」の解説は、「三遊亭圓生 (6代目)」の解説の一部です。
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