5代目三遊亭圓楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:42 UTC 版)
前座時代の5代目圓楽に「よぉ、ライバル!」などと声をかけたエピソードが残るなど若手の頃から意識する存在であり、二人会も数多く行った。ただし、笑いに関しては「俺が良いならいい。俺が妥協したら談志が談志でなくなる」と考える談志と「大衆芸能なのだからマジョリティを相手にしなければ駄目だ。もう少し折れろ」と考える5代目圓楽の間ではいつも意見が食い違っていたという。5代目圓楽は「談志とは忌憚なく意見がぶつけあえる」と語っていたが、談志の方はそれが影響してか「あたしゃ圓楽が嫌いです」と公言し、「下手な落語家」の例えとしてその名を挙げていた。だが、真顔に戻ると、寄席若竹開業に対して「立派なことをしているんです」と評価している。若竹については閉鎖後には週刊誌の連載で「地主の老人を騙し巻き上げた金で若竹を作った」などと痛烈に批判した。5代目圓楽は著書で「談志より先に死にたくない」と語る一方、「『あいつより先に逝きたくはない』という存在があるからこそお互い頑張ってこられた」とも語った。ただし、圓楽が死去した際には談志は追悼のコメントを出したほか、桂三枝(現:6代桂文枝)は「圓楽師匠が死んで一番悲しんでいるのは談志師匠ではないか」と当時のブログに記述した。
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