5代目圓楽時代の豪華賞品
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「大喜利 (笑点)」の記事における「5代目圓楽時代の豪華賞品」の解説
歌丸が「家一軒」を獲得。しかし、その正体は犬小屋一つだった。(1983年1月16日放送 特典自体は三波時代に発表されていた) 歌丸と木久蔵が「皇居一周マラソンに挑戦」を獲得。(1983年10月23日放送) こん平が実況を担当。木久蔵は自力で完走したが、歌丸は途中で倒れて酸素吸入を受け、担架に乗せられてゴールした。この時の映像は、2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番でも放送された。 歌丸と小遊三が「エアロビクス入門」を獲得。(1986年4月13日放送) 日ごろから卓球で鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。一方で歌丸は、開始早々にダウンしてしまった。 歌丸が「ドッキリ中吊り広告」を獲得。(1987年11月22日放送) 都営地下鉄の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。歌丸も私服に眼鏡をかけた姿で電車に乗り込み、中吊り広告を見た乗客がインタビューを受けているところに、背後から歌丸本人が現れるドッキリを仕掛けた。 こん平が「珍説のさぎ参り」を獲得。(1988年2月21日放送) 才賀が「ゴルフ・イン・ハワイ」を獲得。ワイアラエゴルフクラブで、ゴルフを楽しんだ。(1988年3月6日放送 才賀、降板前最後の10枚獲得) 好楽が「テレホンカード」を獲得。(1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得) 木久蔵が「プロ野球入門」を獲得。(1988年9月18日放送) 野球解説者の堀内恒夫と落成間もない東京ドームで野球観戦した。 「進学塾入塾」を獲得。(1988年放送 獲得者不明) 歌丸が「クィーンエリザベスIIの夕べ」を獲得。(1989年5月21日放送) 横浜に寄港した豪華客船で妻の冨士子とクルージングを行った。 木久蔵が「奥の細道を行く」を獲得。(1989年11月12日放送) 上野駅を東北本線で出発、次駅の尾久駅で下車。「尾久の舗装道」を探訪した。 こん平が「黒潮紀行」のセットを獲得。(1990年7月22日放送) 小遊三が「花火指南」を獲得。(1990年11月25日放送) 歌丸が「パリで自由にショッピングを楽しめる権利」を獲得。(1991年4月7日放送) しかし、先述の「イギリスのダービー」の時と同じく「自分のお金でパリに行って、自分のお金でパリで自由にショッピングしていいよ」というものだった(実際に行ったかどうかは不明)。 ちなみに、この年に放送25周年を記念してパリで大喜利を開催する予定だったが、湾岸戦争の影響で中止となった。 こん平が「長崎から船に乗ってどこかへ行ける」を獲得。(1991年4月21日放送) 翌週の収録地である倉敷までの手漕ぎボートで移動することを命じられた。 楽太郎が「カール・ルイスと対決」を獲得。カール・ルイス本人と100M走で対決した。(1991年6月2日放送) こん平が「徳川家御埋蔵金」を獲得。(1991年12月15日放送) 宝の地図を頼りに、群馬の山中を分け入って掘り当てた。しかし、出てきたのは三つ葉葵の家紋入りの雑巾5枚(5枚雑巾=ごまいぞうきん)だった。 メンバー全員が「岩清水を飲む権利」を獲得。(1992年5月10日放送) しかし、汲んだ岩清水を山田が途中でこぼしてしまい、代用品として鰯を漬けた水(いわし・水)をメンバーに出してきた。この事実を知ったメンバーは激怒し、これ以降「山田のクビ」ネタを多用するようになった。 好楽が「ハワイ5泊6日の旅」を獲得。(1992年5月24日放送) 好楽のみならず、当時の笑点メンバー全員が同行した。 小遊三が「つけまつげ」を獲得。(1993年2月28日放送) 好楽が「美女と茶摘」を獲得。(1993年5月23日放送) 小遊三も同行し時代劇コントに巻き込まれる脱線もあったが、最終的には美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。 こん平が「道路工事のお手伝い」を獲得。(1993年7月25日放送) 木久蔵が「美女と滝修行」を獲得。(1993年11月14日放送) 三重県の寺院に美人の尼を訪ねたが、出迎えたのは厳格な和尚だった。その後、褌一丁で水温0(レイ)度の滝に打たれてずぶ濡れになる木久蔵の絶叫が寒空に響き渡った。そして、番組ブレーンの1人で心霊研究家の新倉イワオが背後霊の如く現れ、「あなたの知らないレイ度の世界」と呟いた(「あなたの知らない世界」のパロディ風)。 歌丸が「白樺高原の休日」を獲得。(1994年3月6日放送) ワカサギ釣りを満喫した後、歌丸が最も楽しみにしていた雪見風呂だったが、それはスキー場の真ん中にポツンと立つドラム缶風呂だった。そのため、報告VTRのタイトルが「白樺高原の休日」から「歌丸の極寒雪見風呂」にすり替わっていた。 小遊三が「故郷に錦を飾る」を獲得。(1994年7月10日放送) 故郷である山梨県大月市をオープンカーでパレード。母校山梨県立都留高等学校へ赴き、当時の在校生から「錦の座布団」が贈られた。 楽太郎が「秋の香り満載」を獲得。(1994年10月30日放送) 秋なので松茸を予想した楽太郎だったが、山田が持ってきたのはギンナンで、さらには焼きたてのギンナンだったため独特の匂いが会場に充満してしまう。これはスタッフが、収録前日の明治神宮の銀杏並木で拾い集めてきたもので、番組史上最も価格の安い賞品とされている。 こん平と小遊三が「川中島の決戦」を獲得し対決。(1995年4月16日放送) 新潟出身のこん平が上杉謙信、山梨出身の小遊三が武田信玄に扮し、座布団10枚の御祝儀をかけて川中島で卓球勝負。小遊三が勝利したが、こん平の影武者作戦で御祝儀はこん平の物になった。 木久蔵が「稲刈り奮闘記」を獲得。苦労して収穫した米でおにぎりを作って5代目圓楽に振る舞った。(1995年10月22日放送) 好楽が「一攫千金を夢見て宝石翡翠取り大作戦」を獲得。(1996年9月15日放送) しかし、この時期は翡翠が取れないということで、結局は5代目圓楽の顔に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。 こん平が「長嶋監督におめでとうの座布団を贈る権利」を獲得。(1996年10月13日放送) 楽太郎が「木久蔵に弟子入りできる権利」を獲得。(1997年5月4日放送) 獲得直後、強制的に弟子入りさせられた。この賞品は木久蔵本人以外のメンバーには不評だったことから、“良い答えの時は座布団が取られ、悪い答えの時に座布団を進呈される”という、普段とは逆の展開が多く見られた。 当然ながら「弟子入りする」というのはあくまでも番組でのネタであり、本当に弟子になった訳ではない。 木久蔵が「那須トリックアート」を獲得。木久蔵の絵画が出現した。(1997年9月14日放送) 小遊三が「はやりのマウンテンバイク」を獲得。(1998年8月30日放送) しかし、出てきたマウンテンバイクには乗ることが出来ず、実際に与えられたのは子供用の自転車だった。 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。(1999年1月24日放送) 5代目圓楽の指示で上越新幹線に乗ったが、車窓から見えたのは広大な雪原にポツンと立っていた『私が木久蔵です』と書かれた巨大な看板だった。 小遊三が「楽園パラオのバカンス」を獲得。(1999年6月20日・27日放送) 新婚旅行をしていなかった小遊三夫婦にとっての代わりのバカンスを満喫していたところに、こん平と楽太郎も乱入。この賞品の真の目的は「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」と知らされる。言葉や文化の違いに戸惑ったものの、パラオの人々に落語「桃太郎」を披露し、プロジェクトを成功させた。 歌丸が「世界の大スターと共演できる権利」を獲得。(1999年9月5日放送) 客席で5代目圓楽と共に大スターが到着するのを待機していたが、その大スターの正体は座布団運びの山田隆夫であり、『ずうとるび』の代表曲である『みかん色の恋』をソロで歌唱しながら登場しただけだった。期待を裏切られた歌丸は激怒し、腹いせにプレゼントされた山田のサイン入りの写真パネルをその場で折り曲げた。 木久蔵が「ある組織の長になれる権利」を獲得。(1999年12月12日放送) 組織の長とは、幼稚園の一日園長だった。 元気な園児たちとダンス、お絵描き、お弁当の楽しい時間を過ごし、最後は本業の落語を披露し大爆笑。大役を果たした。 木久蔵が「好きな番組を製作出来る権利」を獲得。(2000年7月9日放送) そこで木久蔵が「木久蔵ラーメンを海外で出店したい」と要望したことから、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を放送。現地で、こん平・小遊三・きくお(現:2代目木久蔵)・菊川怜と合流。タイ人は何にでも砂糖を入れる習慣があることから、砂糖壺を屋台に用意。また、タイの昆虫食として珍重される“ツムギアリの卵”を入れたタイ・オリジナル木久蔵ラーメンを提供した。この特別番組は、獲得から1年後の2001年7月8日に放送された。 賞品獲得から放送が遅れた理由として、木久蔵がロケ直前に胃がんの手術を行ったことで、その術後の回復を待って収録された事情によるものである。 歌丸が「写真集出版」を獲得。(2000年12月3日放送) スーツの他、着物やドレスといった女装姿を含めた写真集が製作された。当初は店頭で発売する予定だったが、出版を請け負う出版社が見つからなかった事情から5代目圓楽の自腹で10冊のみ製本し、抽選による視聴者プレゼントに変更となった。この写真集は、50周年スペシャルでも紹介された。 小遊三が「2001年宇宙の旅」を獲得。(2001年8月12日放送) 山田が宇宙服風の衣装を着て登場し、持ってきたのは「2001円の府中の足袋」(府中市で2001円で売っていた足袋)だった。 楽太郎が「いざさらば 雪見にころぶ 所まで(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2001年12月16日放送) 賞品は「笑点特製スノーボード」で、「笑点」のロゴと豪快に笑う5代目圓楽の似顔絵が描かれていた。 こん平が「花の雲 鐘は上野か 浅草か(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年3月31日放送) 賞品は「花見場所取りセット」であり、5代目圓楽のシールつきオマルもあった。 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年8月25日放送) くさや(夏、くさや)の本場・新島に行き、くさや作りを体験。魚のくさやを賞味し、最後は色々な魚のくさや干しを食べて、まさにくさや三昧の一日となった。 歌丸が「三顧の礼」を獲得。賞品は千円札1枚(3個の零で1000円)。(2003年4月6日放送) こん平が「旅は道連れ 世は情け」を獲得。(2003年8月31日放送 こん平、降板前最後の10枚獲得) こん平の道連れとして山田が同行することとなり、仲直り旅行と称してタヒチ島へ行くこととなった。 歌丸が「似たもの夫婦」を獲得。賞品は煮込みうどん(煮た物フーフー)だった。(2003年12月28日放送) 楽太郎が「古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2004年4月25日放送) 5代目圓楽からは「神々の島であるバリ島の古池に飛び飛んで、黒い腹を清めて来い」と言われる。現地乱入のこん平と好楽の案内でカルデラ湖近くの滝壺へ行くが、楽太郎が拒否。結局、高級リゾートの露天ジャグジーに飛び込んだあと、バリ式マッサージで腹を白くした。 番組の構成チーフだった城啓介の後日談として、楽太郎が飛び込むことを拒否したカルデラ湖の中に温泉が湧いていて、当初は本当に飛び込むことを予定していたが、その湖の周りに風葬を習慣としている村が存在し、湖の周りに風葬された遺体がそのまま埋められていることもあり、スタッフの配慮によってリゾート内のジャグジーに変更されたとのことである。 歌丸が「濡れ手で粟のひとつかみ」を獲得。(2005年5月15日放送 歌丸、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得) フィリピン紙幣「ペソ」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。さらにその掴み取ったペソを元手に、「セブ島カジノツアー一攫千金の旅」へ。 現地乱入の楽太郎を交え、スロットマシンで1000ペソ稼いでルーレットで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーである『黒』を避けて赤に賭け続けた結果大敗し、成功を予定して組まれた祝賀会の費用を自腹で払う羽目になった。 小遊三が「明日は明日の風が吹く(映画「風と共に去りぬ」の名台詞)」を獲得。(2005年10月16日放送) 賞品は、5代目圓楽の自宅の押し入れから出てきた10年前の扇風機だった。この翌週から5代目圓楽が病気で休演したため、5代目圓楽時代の事実上最後の10枚獲得。 たい平が「少年よ、大志を抱け(クラーク博士の名言)」を獲得。(2006年5月7日放送、たい平初の座布団10枚獲得) 賞品は「タイの道端に落ちていた石」(証拠写真付き)だった。たい平はこの一抱えもある石を、収録会場の山口県周南市から東京まで持ち帰る羽目になった。この石は当時の笑点メンバーのサインが入れられ、以降は横浜にぎわい座の演芸資料館に展示されている。 歌丸は代理司会・たい平は代理メンバーとして唯一の座布団10枚。この翌週の40周年記念スペシャルをもって5代目圓楽が『笑点』から勇退、その翌週より歌丸が正式に司会に就任し、同時にたい平も正式なメンバーとなった。
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