7代目圓生襲名問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:38 UTC 版)
6代目死後、山崎はな(6代目圓生未亡人)、稲葉修、山本進、京須偕充、5代目三遊亭圓楽(6代目圓生の総領弟子)の連名により、この名跡は止め名となっていた。しかし、6代目の三十三回忌(2011年)を控えた2008年、5代目圓楽が総領弟子の三遊亭鳳楽に7代目圓生を襲名させる意向を示したことから、6代目の直弟子三遊亭圓丈、6代目門下の預かり弟子である三遊亭圓窓も襲名争いに名乗り出る騒動となった。止め名の当事者にもかかわらず、独断で鳳楽の襲名を進めた5代目圓楽と弟弟子達の確執が原因であり、いずれも7代目を継ぐことなく収束した。今後、6代目の系譜にあたる若手の中から7代目を継がせるに足る者が出てくれば襲名の可能性はあるという。
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