7代目松鶴襲名を巡ってとは? わかりやすく解説

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7代目松鶴襲名を巡って

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 02:51 UTC 版)

笑福亭松鶴 (7代目)」の記事における「7代目松鶴襲名を巡って」の解説

上方落語界と松竹芸能における大名跡である笑福亭松鶴跡目巡っては、6代目晩年以降、以下のような経緯たどった松竹芸能では1986年3月から、翌年道頓堀浪花開場合わせ6代目2代目笑福亭松翁初代森乃福郎3代目桂文之助6代目実子である5代目笑福亭枝鶴7代目とする襲名興行計画された。しかし、同年9月6代目没したことで、この構想実現しなかった。 関係者は、改め5代目7代目継がせる計画立てる。ところが、トリをつとめる予定だった浪花座での6代目追善特別興行初日1987年9月22日)を無断欠席する(のちに松竹芸能解雇される)。「」の襲名白紙になり、名跡当時松竹芸能社長であった勝忠男預かった6代目は、生前総領弟子3代目笑福亭仁鶴7代目にという「遺言」を残していた。だが、その仁鶴1993年12月28日一門忘年会において松葉7代目継がせる意向を示す。事前に相談なくおこなわれたこの指名は、一門紛糾もたらした当時松葉6代目7番弟子だった。 1994年1月14日仁鶴吉本興業本社記者会見開き松葉人格落語技量のいずれにおいても「ベター」という持論述べとともに記者質問に「ぼくの唯一のわがままです」と答えた。この答は、(他の大半弟子所属する)「松竹芸能への配慮」と受け止められた。 2月5日仁鶴以外の全一門による協議により、仁鶴への7代目襲名要請行い拒絶場合仁鶴発言撤回求めるという決議なされる。しかし、この決議実行されることなく2月26日再度一門話し合い持たれ、そこで松葉への7代目襲名決定した生前松葉と仲のよかった笑福亭鶴瓶は、「ぼくの影響なんかなにもないけどね」と断った上で松竹芸能社長に「(7代目は)誰がえぇ?」と問われた際に素直に松葉答えたとのちに証言している。 襲名披露興行1996年9月21日 - 9月23日道頓堀中座で開くことが決まる。しかし、その公演中日当たっていた1996年9月22日松葉病没した。 松葉に対して没後7代目を「追贈」するという形が取られ、現在「笑福亭松鶴」の名跡松竹芸能預かりとなっている。

※この「7代目松鶴襲名を巡って」の解説は、「笑福亭松鶴 (7代目)」の解説の一部です。
「7代目松鶴襲名を巡って」を含む「笑福亭松鶴 (7代目)」の記事については、「笑福亭松鶴 (7代目)」の概要を参照ください。

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