戎橋松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 00:54 UTC 版)
戎橋松竹(えびすばししょうちく)は、かつて大阪市中央区(旧・南区)に存在した演芸場。千日土地建物[注釈 1](のち千土地興行をへて日本ドリーム観光)経営。終戦直後における大阪唯一の寄席として知られた。通称・戎松(えびしょう、えびまつ)。
注釈
- ^ 3代目桂米朝は、「当初松竹が経営していたが途中から千土地に変わった」といった内容を述べている[1]。米朝は開場から約半年後にストライキの騒ぎがあり、その際に千土地興行が経営を引き継いだとしている[1]。実際には当初から千土地興行の経営であった。ただし、千土地は開場当初松竹の関係会社であったが、1954年に経営難で白井松次郎の末弟・白井信太郎から松尾國三に経営者が変わり、松竹系役員がすべて退陣している。松次郎の双子の弟で松竹社長の大谷竹次郎の要請で行われたものだが、このときをもって千土地は松竹の手を離れている。[要出典]
- ^ 松竹は戦前から吉本興業に対抗して幾度か演芸進出を図っていた(松竹芸能#吉本興業との関係の項も参照)。
- ^ a b 「1956年」とするのは桂米朝・上岡龍太郎(2000)[2]、「1957年」とするのは戸田学(2016)である[3]。
- ^ 北海道拓殖銀行がさらに近鉄不動産に売却。拓銀は引き続きテナントに入っていたが、現在は野村證券が入居。
出典
固有名詞の分類
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