落語家活動
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京都・先斗町の御茶屋の息子に生まれる。子供のころから演芸が好きで京都府立鴨沂高等学校在学中の1955年に新関西新聞主宰の演芸コンクールで「強情灸」を演じた、その時の審査員の奥野しげるの紹介で高校卒業後、1956年4月に3代目笑福亭福松(前名は2代目文の家かしく、三友派で活躍した2代目桂文之助の実子)に入門、笑福亭福郎を名乗り、同年12月に戎橋松竹で初舞台。1961年後半、藤山寛美の命名で森乃福郎に改名し、終生この名で通した。師の実父の名跡であり、福郎自身も憧憬を抱いていた3代目桂文之助を1987年に襲名する計画が、所属する松竹芸能で立ち上がっていたが、同時に2代目笑福亭松翁を襲名する予定であった6代目笑福亭松鶴が前年に亡くなったため、立ち消えになっている。
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