落語家入門後
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大学を卒業する1995年には、2月から吉朝の師匠である桂米朝の自宅への住み込み修業を予定していたが、1月17日に当時住んでいた神戸市灘区内で阪神・淡路大震災に遭遇。吉弥自身は幸いにも難を逃れたため、修業の開始を1か月だけ遅らせることを条件に、「朝日キャンプ」の震災ボランティア活動に参加した。 1995年3月から3年間、兄弟子の桂あさ吉らと共に、米朝の自宅で内弟子として住み込み修業。この時期には、稽古の合間に兄弟子や師匠から急ぎの用事(雑用や運転手など)が突然入ることが多いため、内弟子としていつでも用意が出来るように待機することが苦痛だったという。とはいえ、内弟子時代には、米朝が人間国宝に認定され、吉弥自身もNHK紅白歌合戦の審査員に選ばれた米朝の付き人としてNHKホールで歌合戦の本番を鑑賞するなど、内弟子としては恵まれた境遇にあった。また、内弟子時代には、米朝・枝雀の付き添いで新宿末廣亭の高座に出演。前座噺で「軽業」を披露した(米朝によると、この噺は自身からは直接稽古を付けず、兄弟弟子への稽古を見ているからできるはずと考えていたという)。 内弟子生活を終えてからは、落語家の域にとどまらず、俳優や(ラジオパーソナリティなどの)タレントとしても幅広く活動している。
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