橋場
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橋場
橋場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 18:08 UTC 版)
橋場(はしば)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は橋場一丁目および橋場二丁目。郵便番号は111-0023[2]。
- ^ a b “町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
- ^ 橋場・今戸 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 国立国会図書館
- ^ “区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第38版』東京オ、ヲの部164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月20日閲覧。
- 1 橋場とは
- 2 橋場の概要
- 3 地理
- 4 小・中学校の学区
橋場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:47 UTC 版)
近世には、稲核を本村とする枝郷「橋場」があった。橋場は距離的には島々に近いが、稲核の枝郷とされた。橋場は梓川の右岸にあり、左岸との間に常時通行可能な雑炊橋があった。このため、近世以前には現在の安曇野市・大町市方面と、松本市・塩尻市方面をいつでも確実につなぐことのできる橋であり、橋場は交通上の要衝であった。このため、松本藩の番所が置かれ、旅人宿や牛宿があった。また、橋場の男性の多くが、曲輪(がわ)杣の仕事に従事していた。曲輪杣は、良質な板材を曲物に加工する仕事である。 1868年(明治2年)に、下流に新淵橋という橋が架けられたので、交通上の要衝としての地位を失い、集落の繁栄に終止符が打たれた。2012年1月現在で、世帯数19、人口47である。
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