隅田川の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 04:48 UTC 版)
隅田川の渡し(すみだがわのわたし)は、隅田川にかつて存在した渡し船・渡船場の総称。
- ^ 実施報告 船でゆく荒川-人工水路と暮らしの接点- - ミツカン 水の文化センター、2017年2月23日閲覧。
- ^ “流路変遷にまつわる荒川七ふしぎ” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 (2008年11月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月23日閲覧。
- ^ 「武蔵、下総両国界住田河四艘。元二艘今加二艘右河等。崖岸廣遠。不得造橋。仍増件船(武蔵国と下総国の国境の住田河(隅田川)には現在4艘の渡し舟がある。岸は崖で広く、橋が造れないので2艘から増船した)」
- ^ “安宅の渡し跡|江東区”. 江東区. 2023年4月11日閲覧。
- ^ 読みは角川日本地名大辞典のふりがなによる
- ^ “中洲の渡し跡|江東区”. 江東区. 2023年4月11日閲覧。
- ^ 江戸名所図会 永代橋.
- ^ “大川口の渡し跡|江東区”. 江東区. 2023年4月11日閲覧。
- ^ “中央区ホームページ/中央区民文化財8 佃島渡船場跡(つくだじまとせんばあと)”. 中央区. 2023年4月11日閲覧。
- ^ [週刊トランスポート] 都内に残る 知られざる「渡し船」 - Youtube TOKYO MX 公式チャンネル
- 1 隅田川の渡しとは
- 2 隅田川の渡しの概要
- 3 脚注
隅田川の渡し(東京都)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:51 UTC 版)
防衛上の理由から架橋が制限されていたため多くの航路が就航し、最盛期の明治時代初期には20航路以上が就航していた。1966年に廃止された「汐入の渡し」をもって、隅田川から渡し船は消滅。
※この「隅田川の渡し(東京都)」の解説は、「渡し船」の解説の一部です。
「隅田川の渡し(東京都)」を含む「渡し船」の記事については、「渡し船」の概要を参照ください。
- 隅田川の渡しのページへのリンク