近年に廃止・休止された渡船とは? わかりやすく解説

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近年に廃止・休止された渡船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:51 UTC 版)

渡し船」の記事における「近年に廃止・休止された渡船」の解説

石狩川渡船北海道旭川市江丹別町) 石狩川右岸の旧江丹別村左岸旭川市忠和を結んだ1900年明治33年私設渡船として開設渡船としてはバス道北乗合自動車)を載せる珍しい映像が残る。直径3cmワイヤー川幅100M張り、自然の流れ利用した渡航方法所要時間は約10程度渡船自体現在の道道98号線の一部であり、1957年昭和32年12月江神橋完成これに伴い渡船廃止となった美浦渡船北海道美唄市 - 樺戸郡浦臼町石狩川左岸美唄市中村地区浦臼町晩生内地区結んだ美唄市浦臼町共同運営。人のみ乗船可能であり、無料であった2005年10月10日に一旦廃止されたが、その後北海道開拓遺産として観光用復活乗船名簿記入の上ライフジャケット着用するなど生活色は無くなり6月から9月にかけての土日・祝日中心に1日3回運航していた。確実に利用するためには予め船頭携帯電話予約電話入れる必要があった。2011年3月26日北海道道1159号美唄浦臼線美浦大橋」の開通に伴い関係両市町協議した結果船頭高齢化もあり2011年9月25日限り96年歴史に幕下ろし、これにより北海道から渡し船はすべて姿を消した。 ※参考さような美浦渡船 ありがと国田さん - 浦臼町公式サイト(pdf) 重兵衛渡し北海道江別市石狩川左岸江別市大川通と右岸江別市美原結んだ1889年明治22年私設渡船として美原地区開拓のために開設。「重兵衛」の通称は、北海道庁許可得て渡船業を始めた福井県出身開拓者武田兵衛」に因む1950年昭和25年3月江別町道「一原渡船場道路」として認定されたのち動力船化、1971年昭和46年)年3月廃止石狩渡舟北海道石狩市) 江戸時代から石狩川河口部運行されていた国道231号渡船1978年廃止旅来渡船北海道十勝郡浦幌町中川郡豊頃町国道336号渡船国道最後渡し船海上国道区間を除く)であったが、1992年廃止詳細渡船国道参照豊里・津山渡船宮城県登米市豊里町 - 旧津山町波の渡し北上川渡しなどとも言う。1931年から国営運営され次いで豊里町と旧津山町共同運行になり、合併により登米市となったが、実際運航豊里-津山渡船協議会委託されていた。両岸気仙沼線鉄道橋はあるものの、道路橋がないための運航であった廃止直前には1日11往復運航ダイヤ日曜日運休)が組まれていたが、1人利用者がいない日が増えたことに加えて船頭高齢化により2010年6月4日廃止され79年間の歴史に幕下ろした。 ※参考豊里津山をつなぐ渡し船 多く思い出とともに長い歴史に幕 - 登米市公式サイト(pdf) 山田の渡し宮城県石巻市崎・山田の渡しとも言う。旧桃生町飛び地である北上川左岸山田地区桃生町中心部側の地区結んでいる。桃生町営から市町合併により現在は石巻市営であるが「山田船場維持組合」に運営委託している。主な利用者通学時の小中学生であったため、通学需要のない日曜日運休していた。船頭死去による後継者問題により、休止され生徒スクールバス通学するようになった事実上廃止に近いが制度残っている。 小山の渡し宮城県柴田町 - 亘理町角田市東北本線の駅がある柴田町槻木地区対岸亘理町小山地区角田市鳩原地区境界付近結んでいた。宮城県渡船最後渡し舟であったが、1995年7月7日槻木大橋開通に伴い廃止された。 島村渡船群馬県伊勢崎市利根川右岸にある伊勢崎市飛地左岸伊勢崎市の旧境町中心部側)を結ぶ。かつては群馬県営(伊勢崎市運航委託であったが、2012年4月伊勢崎市移管された。川舟タイプの船を使用。人のみ乗船可能であり無料だった。 台風被害などによって運航左右され、市が16年復旧に約4500万円投じた経緯がある。冬場強風などのため運航できないケース多く2018年度以降は春から秋のみ運航であった2019年10月台風19号令和元年東日本台風)により船着き場航路被害受けたため、2020年以降休航となっており運航再開されることはなく、2022年3月定例市議会採決経て同年4月をもって正式に廃止された。 ※参考伊勢崎市島村渡船 - 伊勢崎市公式サイト 波崎町営渡船千葉県銚子市 - 茨城県波崎町銚子大橋の下の利根川両岸結んでいたが1996年1月末で休航津宮渡船千葉県香取市利根川両岸結んでいた、主に通学用渡船2007年3月末廃止富田渡船千葉県香取市利根川左岸にある香取市富田新田地区左岸の旧小見川町中心部側を結んでいた。地元渡船組合運営自転車バイク乗船可能。有料2013年3月末で廃止隅田川の渡し東京都防衛上の理由から架橋制限されていたため多く航路就航し最盛期明治時代初期には20航路以上が就航していた。1966年廃止された「汐入渡しをもって隅田川から渡し船消滅菅の渡し東京都調布市 - 神奈川県川崎市多摩区多摩川架かる京王電鉄相模原線鉄橋沿いに運航された。1935年昭和10年)、矢野口渡し下菅渡し統合し菅の渡しとして1973年昭和48年)まで存続した。 その後地元貸しボート店によって有料で、京王閣競輪場競輪開催される日のみ、「(通称競輪場渡し」として、船外機取り付けた船舶により10名以下の客を乗せ運航された。 一般客の利用可能だったが、競輪場対岸稲田堤)にある駐車場駐車した競輪場来場者主な対象としていた。2017年平成29年)頃、貸しボート店の休業により事実上廃止となり、稲田堤側の待合小屋撤去された。 塚間の渡し静岡市清水区) かつて、東海道宿場町であった興津から、対岸三保半島東側にある塚間を結んだ鎌倉時代から続いた歴史ある渡し船であり、御穂神社名勝三保の松原周遊する人々利用した。 現在は、興津からではなく清水港江尻から三保湾を渡り三保半島・塚間を結ぶ水上バス(塚間航路富士山清水港クルーズ社運航)がその役割果たしている。工業地帯を結ぶため通勤利用があり、朝夕のみの運航である。そのため日曜日休航となる。 如意の渡し富山県高岡市 - 射水市小矢部川を渡る。伏木港交通有料運営していた。伏木万葉大橋開通により2009年8月2日最後に廃止葛木渡船愛知県愛西市木曽川渡っていた。愛知県営。無料愛知県営道渡船愛知県道119号)。後述森下渡船のすぐ隣にあった2011年3月をもって運行廃止森下渡船愛知県愛西市 - 岐阜県海津市長良川を渡る。岐阜県営。無料岐阜県営道渡船岐阜県道119号)。前述葛木渡船のすぐ隣にあった後述日原渡船長良川側)と船を共用していたため、2日前までの完全予約制となっていた。 2011年3月をもって運行廃止決定した日原渡船塩田渡し)(愛知県愛西市 - 岐阜県海津市木曽川及び長良川を渡る。航路前述葛木渡船森下渡船同様に並行して流れる両河川分かれているが、こちらの場合は同じ名称であった。但し、木曽川側には「塩田渡船」の別名がある愛知県営(木曽川)、岐阜県営(長良川)。無料木曽川側は愛知県営道渡船長良川側は岐阜県渡船愛知県道120号岐阜県道117号)。長良川側の渡船前述森下渡船と船を共用していたため、2日前までの完全予約制となっていた。 2011年3月をもって運行廃止山崎の渡し大阪府島本町 - 京都府八幡市淀川の両岸結んでいた渡船江戸時代以前には山崎橋かっていた。谷崎潤一郎小説葦刈』にもこの渡船描写されている。1962年廃止平田の渡し大阪市東淀川区 - 大阪市旭区淀川の両岸結んでいた大阪市の公営渡船航路一つ豊里大橋開通により1970年廃止淀川最後渡し船だった。 境水道渡船鳥取県境港市境港市相生町岸壁松江市美保関町宇井岸壁間の境水道両岸を結ぶ。1時間1-3程度有料自転車積載可能。 2007年3月末休航となっているが事実上の廃止。 ※参考境水道渡船 - 境港市観光協会 水江の渡し岡山県倉敷市高梁川改修工事により東西分断され水江地区無料結んでいた。市道水江2号線」の一部としての機能もあった。廃止直前運行時間平日7時 - 11時及び14時 - 18であった倉敷大橋2016年平成28年1月24日開通。同開通により同年3月31日をもって廃止 音戸渡船広島県呉市本州倉橋島隔て音戸の瀬戸渡っていた。江戸時代初期に手こぎで始まったこの渡船日本一短い航路(約80M)として知られた。民営かつ有料大人片道100円)であり、自転車バイク乗船可能だった歴史守り続けてきた唯一の船頭が、船の損傷およびコロナ禍含めて乗客減少から運営限界感じ航路廃止廃業意向を市に伝え2021年令和3年10月31日をもって廃止となった。 なお、使用していた2隻の木造船(つばめ・かもめ)は、天候要因による損傷発生していたため、同年7月19日午後から休航していた。 ※参考日本一短い航路音戸渡し船」 - 呉市観光振興彦島渡船山口県下関市竹崎桟橋 - 彦島海士桟橋1989年平成元年12月31日廃止 京町軽便渡船福岡県久留米市筑後川中流域長門石-京町間を結んでいた。1891年京町軽便会社運航始め、のちに久留米市営に移行した1974年7月11日長門石橋開通に伴い廃止された。 下田の渡し福岡県久留米市筑後川中流域にて運航された旧城島町下田地区と同町浜地区とを結んだ福岡県営。無料架橋完成とともに1994年廃止これをもって筑後川渡し全て消失した木の渡し舟熊本県八代市 - 球磨郡球磨村球磨川沿いに走る肥薩線瀬戸石駅八代市)と球磨村神瀬(こうのせ)木(かじき)を結ぶ。最寄りまで徒歩迂回する1時間近く掛かる対岸を、5分で運行していた。球磨村営で、から委託受けた住民組織木地渡し舟組合」が管理・運営していたが、4人いた船頭は約30年前からは1人だけであった村民無料で、村民以外の利用者有料日曜日運休2012年10月31日廃止された。船頭高齢後継者皆無であること、マイカー普及などで利用者減少して末期には高校生などの乗客1日1人いるかいないかだったこと、その主な利用であった高校生スクーターや親の送迎通学するようになり渡し船利用しなくなる事が決定打となった廃止まで使われていた和船木丸」は、現在「一勝地温泉かわせみ」で足湯湯桶として余生送っている。 付近肥薩線の駅は集落からのない対岸に駅があることが多くかつては多く駅前渡船があった。

※この「近年に廃止・休止された渡船」の解説は、「渡し船」の解説の一部です。
「近年に廃止・休止された渡船」を含む「渡し船」の記事については、「渡し船」の概要を参照ください。

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