近年における火葬場の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:42 UTC 版)
昭和初期から末期にかけては、高い煙突が火葬場の象徴ともなっていたが、およそ1990年代以降に新設された火葬場において、煙突が見られることはほとんどない。 これは1970年代後半から、燃料の灯油化・ガス化により煤煙が減少したこと、火葬炉排煙の再燃焼処理や集塵装置の普及により、排煙の透明化や臭気の除去が進んだことにより、極端に短い煙突(施設によっては煙突すらなく、排気口となっているところもある)でも悪影響が無いこと、社会的には火葬場がそばにあることへの近隣住民の拒否感に配慮して「火葬場らしくない」意匠を取り入れるように、設計思想が進歩したものによるものである。 昭和初期から後期にかけての主たる燃料は、重油・薪、産炭地では石炭やコークスであったが、昭和後期以降からは白灯油、特に2000年頃からは都市ガス・液化石油ガス(LPG)が増加しつつある。大正から昭和中期には、極少数ながら電気炉も存在したが、保守・清掃に非常に手間が掛かることや、石油系燃料費と比して電気料金が相当高額になるため衰退した。 火葬場は「迷惑施設の一例」として、新設・改築・移転には、当該地域の住民による反対運動が起こりやすい。そこでいくつかの自治体が集まって広域行政組合を設立し、広域斎場を設けることで、リスクを低減することを図る傾向がある。同様の事情から、住宅地から離れた場所に立地しようとするのが一般的だが、日本の都市事情を考慮すると、必ずしもそのような場所に作れるとは限らない。 そのため、都市部のような場所においては、周辺を樹木で囲む・ぱっと見ただけでは火葬場とはわからない外観など、周辺地域に配慮した立地となっている。霊柩車についても、宮型のものは使用・乗り入れの自粛を要請したり、出入り禁止したりする場合がある。 また、火葬場の名称も「~斎場」「~斎苑」「~聖苑」などが多く、「~火葬場」とする施設は激減している(もっとも、「××斎場」を名乗る火葬場でも、式場を併設する場合はこちらを「斎場棟」と呼ぶことが多い)。長大な煙突を有していたり、可視煙を排出するような旧式の火葬場は、改装・移転にともなって、急速に姿を消しつつある。 なお、現行の都市計画法においては、都市施設の一つとして「火葬場」が規定されており、建築基準法第51条により、都市計画区域内に火葬場を新築または増築する場合は、原則都市計画決定が必要である。 火葬場経営は、主に各市町村の清掃・衛生関連部署による運営や、複数の市町村が一部事務組合を結成して共同運営しているものが多いが、一部民営・業務委託・半官半民(PFI)といった形態で設置・運営しているものもある。また宗教団体や株式会社が経営する民営火葬場は、全国に約21施設が定常的に営業している。 特に東京都区部では、江戸時代末期から明治に、寺院や匿名出資者が経営していた火葬場や、民間企業が経営していた火葬場を統合合併した株式会社の火葬場が主であり、2014年5月現在、他地域の公営火葬場主流に対して、公営が2施設(炉数計30基)、民営が2社7施設(炉数計76基)である。
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