昭和後期以降
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占領が解除された1952年(昭和27年)、大日本武徳会の事実上の後継団体として全日本剣道連盟が発足したが、全日本剣道連盟は当初剣道のみを所管し、居合道は所管しなかった。そのため無双直伝英信流第20代宗家河野百錬らが、1954年(昭和29年)に全日本居合道連盟を結成した。 1956年(昭和31年)、全日本剣道連盟が居合道部を創設し、全日本居合道連盟との間で合併が議論されたが、意見がまとまらず交渉は決裂した。これにより居合道界は全日本居合道連盟と全日本剣道連盟居合道部に分断された。 1974年(昭和49年)に河野百錬が死去すると、無双直伝英信流宗家の継承争いが起き、全日本居合道連盟から大日本居合道連盟、日本居合道連盟、全国居合道連盟が派生し、居合道の連盟は複数に分裂した。現在、各連盟にほとんど交流はなく、演武大会や段級位審査はそれぞれの連盟が独自に行っている。
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昭和後期以降
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社会が豊かになるにつれ、雑誌の質も向上し、昭和30年代半ばには多くの雑誌にも写真(グラビア)が多用されるようになった。 性知識に関するものでは1960年には『性生活の知恵』、1971年には奈良林祥の『HOW TO SEX』がある。 1964年には「平凡パンチ」が創刊、ヌードを多用した成年男子向けの雑誌であり、そのヒットから「週刊プレイボーイ」が出て、この両者は長く若者向けソフトエロ本としての地位を保ち続ける。「ポケットパンチOh!」(1968年)はロマンポルノの女優を中心にピンク映画情報などを扱った情報誌の走りで、類似誌が多数出た。またこれが後にAV情報誌に引き継がれる。1971年にはSM主体の雑誌から分かれるような形で「薔薇族」が創刊、続いていくつかの同性愛雑誌が出ている。また昭和40年代後半にスワッピング情報誌が創刊された。これには読者の写真が載ることが多く、読者投稿写真の走りの一つと見られる。 漫画では1970年代当初にエロ劇画が出現、1973年の「エロトピア」の創刊を皮切りにエロ劇画誌が続々と出て、一気にその市場を拡大した。やがて作品内に美少女が登場する美少女漫画も増加し、美少女漫画誌も多く発売されるようになった。また、パソコンの一般への普及率こそ高くなかったものの、アダルトゲーム(いわゆるエロゲ)を製作するサードパーティーも増え、アダルトゲームを中心に扱うパソコン雑誌も誕生した。 風俗情報誌は1980年代初頭に出現した。たとえば「ナイトタイムス」は元来は歌舞伎町のタウン誌であったが、風俗関連の情報誌として独立したものである(同紙は後に「ナイタイレジャー」を経て「ナイスポ」となる)。風俗嬢の顔が露出することで、後にその中からアイドル扱いされるものも現れ、フードル(風俗アイドル)と呼ばれるようになった。 また、性描写のある女性向けのレディースコミックも少女漫画を発行している出版社と同じ出版社から発行されるようになり、ティーンズラブは少女向け情報誌の別冊の形で生まれた。 2019年1月、コンビニ大手3社が扱いの中止を発表。7万から2万部が配本されていた「コンビニ向け成人向け類似本」が事実上締め出され、実施前から休刊雑誌が相次ぐ。
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昭和後期(根岸線開業)以降
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「根岸線」の記事における「昭和後期(根岸線開業)以降」の解説
1964年(昭和39年)5月19日:桜木町駅 - 磯子駅間 (7.5km) が延伸開業。横浜駅 - 桜木町駅 - 磯子駅間が根岸線となる。関内駅・石川町駅・山手駅・根岸駅・磯子駅が開業。 6月1日:高島線全通により桜木町駅 - 磯子駅間で貨物営業が開始。 1965年(昭和40年)2月:根岸湾漁協が、根岸湾埋立記念碑を根岸駅前に建立。根岸線建設についても記す。 10月:103系運用開始。 1966年(昭和41年)8月9日:根岸線第2期工事(磯子 - 大船間)が許可される。 1970年(昭和45年)3月17日:磯子駅 - 洋光台駅間 (4.6km) 延伸開業。新杉田駅・洋光台駅が開業。 5月20日:新杉田駅 - 洋光台駅間で土砂崩れが発生。103系電車が土砂に乗り上げて脱線、重軽傷者2名、2両が廃車。翌々日に復旧。 1973年(昭和48年)4月9日:洋光台駅 - 大船駅間 (8.0km) が延伸開業し全通。港南台駅・本郷台駅が開業。 10月1日:磯子駅 - 大船駅間で貨物営業が開始。 1984年(昭和59年)1月29日:ATCが導入される。 2月1日:磯子駅 - 大船駅間の貨物営業が廃止。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる(磯子駅 - 大船駅間の貨物営業を再開)。 1988年(昭和63年)9月22日:205系が運用開始(横浜線からの乗り入れ列車)。 1992年(平成4年)3月:209系試作車(901系)が運用開始。 1993年(平成5年)3月:209系量産車が運用開始。 1998年(平成10年)7月4日:東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始。 2007年(平成19年)12月22日:E233系が運用開始。 2008年(平成20年)3月15日:横浜線内から横須賀線逗子駅までの直通運転が廃止。 2009年(平成21年)7月1日:貸付期間経過に伴い、桜木町駅 - 磯子駅間が鉄道・運輸機構からJR東日本に譲渡。 8月14日:横浜駅 - 大船駅間で D-ATCが導入。 2010年(平成22年)3月17日:貸付期間経過に伴い、磯子駅 - 洋光台間駅が鉄道・運輸機構からJR東日本に譲渡。 4月19日:女性専用車が導入される。 2013年(平成24年)4月9日:貸付期間経過に伴い、洋光台駅 - 大船駅間が鉄道・運輸機構からJR東日本に譲渡。
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昭和後期以降
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1956年(昭和31年)、神道夢想流杖術が全日本剣道連盟(全剣連)に加盟し、全剣連は剣道、居合道、杖道を「三道」として普及する方針を打ち出した。1968年(昭和43年)、清水隆次、乙藤市蔵らによって「全日本剣道連盟杖道」が制定された。現在最も修行人口が多く、一般に杖道といえば全日本剣道連盟杖道を指す。
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