大衆小説の位置付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:19 UTC 版)
「大衆」文学という語の初出は、博文館発行の『講談雑誌』(1924年春の号)に使われた、「見よ、大衆文学のこの偉観」という惹句とされている。この当時は、探偵小説、恋愛通俗小説はまだ「大衆小説」とは呼ばれておらず、主として「高等講談」と呼ばれた時代小説、歴史小説を指していた。この造語により、それまで人情小説・風俗小説と呼ばれていたジャンルが、大衆小説として統合されることになった。1935年頃からは通俗小説は大衆小説と一括りのものとなる。 一般に大衆小説の作家やその作品は、同時代の純文学作家とその作品に比べ、不当に低く評価されがちである。しかし、大衆小説の持つ大衆小説ゆえの文学性が、同時代、あるいは後代の文学者に評価される例も、決して少なくはない。 大衆文学の作家は、保守的な義理人情に加えて、大佛次郎は『赤穂浪士」では昭和初期のニヒリズムを、吉川英治『宮本武蔵』では禅の説教を取り入れて読者を惹きつけた。大佛次郎は戦後には『帰郷』のように、類型的な人物像やロマンとしての面白さの枠組みによる通俗小説の中に、日本文化論を盛り込んで芸術的に高めようとしてきて評価された。 昭和後期以降は、自ら積極的に大衆小説作家を名乗る作家は多くない。しかし、それは大衆小説の衰亡を意味するのではない。時代小説や風俗小説を手掛ける作家自体は、現代でも数多く存在するし、探偵小説は推理小説(ミステリ)、科学小説はSFに名前を変えてジャンルを存続させている。これらは現代ではエンターテインメント作品、あるいは個々のジャンルで括られることのほうが多い。嗜好の多様化によりかつての大衆像は崩壊しており、幅広い大衆に向けて読み捨て的な娯楽性のみを追及するといった意味での大衆小説という分類は失われているが、かつての大衆小説のうち、時代経過に耐える質の高いものは現在でも広く読まれている。
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