純文学作家とは? わかりやすく解説

純文学作家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:51 UTC 版)

赤瀬川原平」の記事における「純文学作家」の解説

篠原勝之紹介で、中央公論社文芸雑誌『海』の編集者だった村松友視知り合い篠原南伸坊糸井重里とともに毎月村松宅に押しかけムラマツ宴会」と称する飲み会行ったそうした縁で、村松から「純文学書いてほしい」と依頼され、『海』に赤瀬川原平名義で「レンズの下の聖徳太子」を発表。しかし理屈っぽすぎたせいかあまり反響はなかった。 つづいて婦人公論』で赤瀬川カット仕事依頼していた編集者田中耕平に「もっと気楽に書いたら」と助言され、テーマのない身辺小説肌ざわり」を執筆名義ペンネームの「尾辻克彦」とする。1979年9月中央公論新人賞受賞し雑誌中央公論』に掲載された。 『文學界1980年12月号に発表され短編父が消えた」で、1981年第84回芥川賞受賞。「前科持ち・元犯罪者」が一転して芥川賞作家」となり、周囲扱い激変したという。1983年、「雪野」で野間文芸新人賞受賞裁判途中結婚し裁判の後に赤瀬川41歳離婚して幼少の娘と父子家庭営んでいた(のちに美学校生徒だった女性再婚している)。「娘・胡桃子と父親の私」の2人のみが登場する作品多かったため、中公新人賞選考委員会では「この作家ホモではないか」という意見がでたという。 この頃嵐山光三郎紹介深沢七郎とも交際があり、深沢ラブミー農場で「芥川賞受賞お祝いパーティー」をしてもらったその後純文学系の文筆活動尾辻克彦名義行い、尾辻・赤瀬川の「共著」などを出したりしたが、1994年発表され小説集ライカ同盟』を最後に尾辻名を使用することはなくなった。「尾辻克彦名義刊行され書籍は、文庫化再刊時に赤瀬川原平名義に変わることがほとんどである。ただし、2005年河出文庫父が消えた』『肌ざわり』、2012年文春文庫での『父が消えた』の電子書籍化など、いまだに尾辻名義使われる場合もある。

※この「純文学作家」の解説は、「赤瀬川原平」の解説の一部です。
「純文学作家」を含む「赤瀬川原平」の記事については、「赤瀬川原平」の概要を参照ください。

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