純文学と大衆文学とは? わかりやすく解説

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純文学と大衆文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:41 UTC 版)

小説」の記事における「純文学と大衆文学」の解説

小説19世紀以降純文学傾向のものと大衆小説傾向のものとに分類されることが一般的となったそれ以前小説は、セルバンテスラブレーがそうであるよう芸術性通俗性を区分することなくひとつの目標として追求することが多かったが、小説読者ひろがり技法的な発達見せにしたがって交通整理が行われるようになってくる。各国の事情によって多少の差はあるが、現代文学では両者傾向分けて考えるのが一般的である。日本場合純文学大衆文学呼ばれる区分具体的になってくるのは明治末年ごろの文壇からで、大正期メディアの発達によってこれが具体化固定化し、芥川賞直木賞制定によってひとつの度として捉えられるようになった戦前から戦後のある時期までは、純文学芸術性指向し大衆文学通俗性・娯楽性指向するのであるという区分が明確で、「自分のために書く小説読者のために書く小説」といった言いかたをされることもあった。この時期純文学主流私小説大衆文学では時代小説であり、それを書く作家固定していたのも特徴である。ただし当時から一人作家について通俗的作品芸術的作品分類されることもあり、単純ではない。 現在では純文学大衆文学境界はあいまいで、双方作品発表する作家一方から他方へと移行する作家自作について特段区分求めない作家多くなってきている。実態としては純文学大衆文学区別掲載誌によって行うことが一般的である。 文学賞では、芥川賞純文学直木賞大衆文学賞であり、受賞作家・作品をみればある程度捉えられていた。しかし、芥川賞作家娯楽作品執筆することもあり(たとえば奥泉光宇能鴻一郎)、作家名で判断することはできなくなっている。純文学作家三島由紀夫大衆文学書いている。逆に大衆文学作家純文学作品を書く例もある(筒井康隆など)。また、最近では芥川賞純文学直木賞大衆文学単純に言えない例も出てきた。第二次世界大戦後中間小説という分類をおくこともあったが、現在ではほとんど死語であろう純文学小説堕落と見る向きもあるが、19世紀的な芸術娯楽という二項対立分類が、現代文学状況正確に把握しきれなくなったためではないかという指摘もある。海外でもチャンドラーグリーンのように通俗性を保ちつつ高度の芸術性発揮する小説作品少なくない内容分野によれば通俗恋愛小説冒険小説推理小説時代小説通俗歴史小説サイエンス・フィクションファンタジーホラー小説武侠小説などは大衆文学とすることが一般的であるが、これらの性格持ちながら純文学とされる作品戦前から少なくない

※この「純文学と大衆文学」の解説は、「小説」の解説の一部です。
「純文学と大衆文学」を含む「小説」の記事については、「小説」の概要を参照ください。

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