篠原 勝之
芸名 | 篠原 勝之 |
芸名フリガナ | しのはら かつゆき |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1942// |
干支 | 午年 |
出身地 | 北海道 |
身長 | 171 cm |
体重 | 90 kg |
URL | http://www.kuma-3.com/ |
ブログURL | http://yaplog.jp/kuma-midokoro/ |
プロフィール | 北海道出身。グラフィックデザイナー、絵本作家、舞台美術などを手がけた後エッセイ『人生はデーヤモンド』で注目を集める。1986年、「KUMA'S FACTORY」設立。廃鉄の溶接に始まり、鋳物鉄、ガラス、土、石などを素材に光・風・水・土や自然が放つエネルギーに呼応するダイナミックな造形を国内外で精力的に創作し続けている「フォルムだけが全てではなく、創る過程や対峙する自然、人、時間の流れも作品。」の真骨頂である"ゲージツ"はマンハッタン、モンゴル、サハラ砂漠、インド、フィンランドなど国境を越え、「地球に目印を付ける。」独自の創作スタイルを貫いている。2002年、欧州コンテンポラリーアートのムーブメントを支えるMUDIMA財団の招待でミラノにて個展を開催。「現代美術の流れを変えるかも知れない作家の出現」と関係者の注目を浴びる。以降、ベニス、パリ、(2003)ニューヨーク(2005)など海外でも発表の機会を得、作品の無国籍な力強さと圧倒的な存在感が評価されている。 |
代表作品1年 | 2009 |
代表作品1 | 常設作品『ゆら水』山梨県北杜市 |
代表作品2年 | 2003 |
代表作品2 | MUDIMA美術館収蔵『LA CANPANELLA』 |
代表作品3年 | 2010 |
代表作品3 | 常設作品『空へ』奈良県馬見丘陵公園 |
職種 | 文化人 |
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篠原勝之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 08:47 UTC 版)
篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ[1]、1942年〈昭和17年〉4月15日[1][2] - )は、日本の芸術家、タレント。自らを「ゲージツ家」と称している[3][4]。
注釈
- ^ CM内に「求む芸術家、46歳」のセリフがある(年齢は放映当時の篠原の実年齢)。
出典
- ^ a b 1999年版『日本タレント名鑑』P203掲載「篠原勝之」より。
- ^ a b c 『TVスター名鑑』1992年版P131掲載「KUMA」より。
- ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131でも、「ゲージツ家」として紹介されている。
- ^ a b c d e f g h i j k l "『笑っていいとも!』で人気者に、テレビから姿を消した「ゲージツ家のクマさん」80歳の今". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 24 April 2022. 2023年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月25日閲覧。
- ^ 自身の公式サイト内プロフィールでは、「篠原勝之・KUMA」と併記されている。
- ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131に掲載された「KUMA」の所属事務所情報では、「クマスファクトリー」と明記。
- ^ 1999年版『TVスター名鑑』P203に掲載された「篠原勝之」の所属事務所情報では、「クマスファクトリー」と明記。
- ^ 自身の公式サイト内プロフィールを参照。
- ^ a b 「「失敗から学ぶこと多い」*造形作家・篠原さん*地球岬小で講演」北海道新聞、2012年11月5日付夕刊胆振版9頁
- ^ 「西胆振の産・学・官 異業種交流*「創造」5年 深まる連携*会員が相互発注、共同事業も」北海道新聞、2014年6月10日付朝刊胆振版31頁
- ^ a b NHK BS hi『わたしが子どもだったころ ゲージツ家 篠原勝之』より
- ^ 「「鉄のゲージツ家」が後輩に助言*「自分とは何か」悩もう*本年度で閉校 室蘭・蘭東中*篠原勝之さん講演」北海道新聞、2011年11月8日付夕刊胆振版13頁
- ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131に掲載された「KUMA」の出身校情報より、「武蔵野美術大」と明記(中退の旨は掲載されず)。
- ^ 「泉鏡花文学賞に2作品 長野まゆみさん「冥途あり」と篠原勝之さん「骨風」」『北國新聞』北國新聞社、2015年10月15日。2023年12月1日閲覧。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ひとりごと 篠原勝之”. zakzak. 夕刊フジ. 2009年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
- ^ 放送期間・放送日時・共演者については、『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録のラジオ番組リストより、『クマさんのスキンヘッドナイト』を参照。
- ^ “人生 漂えど沈まず”. NHK (2021年7月25日). 2021年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。
- ^ “JAROのテレビCM40年史 1990〜2002年”. 設立40周年記念特集2 JAROのテレビCM40年史. 日本広告審査機構. p. 3. 2016年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
篠原勝之(審査委員長)
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「たけしの誰でもピカソ」の記事における「篠原勝之(審査委員長)」の解説
審査員の中では最も辛口。10点満点を出したことはなく、「10点満点は俺自身」と公言していた。点数発表後、大きな色紙に点数を筆で大書して挑戦者に進呈していた。
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