赤塚不二夫とは? わかりやすく解説

あかつか‐ふじお〔‐フジを〕【赤塚不二夫】


赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 01:45 UTC 版)

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄(読み同じ)、1935年〈昭和10年〉9月14日 - 2008年〈平成20年〉8月2日)は、日本漫画家タレント俳優満洲国熱河省出身。フジオ・プロダクション創設者。


注釈

  1. ^ 現在の中華人民共和国河北省承徳市灤平県と北京市密雲県古北口中国語版との境界線。
  2. ^ 両親が奉天で寿司割烹店を営んでおり冀東防共自治政府地区で少年時代を過ごした弟子に古谷三敏、祖父が満鉄連京線熊岳城駅駅長を勤めていたなど一族の所縁があることから満洲を精神的故郷“偽郷”と位置付けており、また子供の頃の事故により右目の視力を失っている人物としては後に赤塚の盟友となったタモリがおり、自身や母親との共通点から親近感を抱いたこともあって彼を居候として手厚く迎え入れたとも言われている。
  3. ^ 以前満洲で父が危険な辺境勤務をしている間に1年間預けられていたことがある。
  4. ^ 父の実家である赤塚家はこの寺の檀家であったらしく、後に赤塚の両親が死去した際この寺で葬式が行われた。
  5. ^ しかし、漫画家として成功した後も新潟との関係は大切にしており、法讃寺や潟東歴史民俗資料館、東公園などに多くの直筆画を寄贈しているほか、母校での講演や地元のイベント、同窓会にも積極的に参加していた。没後の2015年には、それら新潟の各施設に寄贈した作品群を集結した展覧会「潟東にゆかりのある 赤塚不二夫 生誕80年記念展」も開催されている[29]。また、地元紙「新潟日報」には『ネコの目ニュース』(1970-71年)や『わたしの生家』(1974年)、『四畳半の西日』(1975年)、『ふるさと人物伝 人生はギャグなのだ』(1996年)、『ほっとする新潟の空気』(2000年)など、全盛期から晩年まで多くの漫画・エッセイ作品を発表している[30]
  6. ^ マンガをはみだした男 赤塚不二夫』では1953年〈昭和28年〉としている。
  7. ^ 投稿欄に住所も載せる緩やかな時代だった。
  8. ^ 最初、よこたと共に若木書房に持ち込みにいったが、よこたの漫画のみ採用され二件目に行ったのが曙出版である。
  9. ^ 2005年二見書房刊「赤塚不二夫のおコトバ」P.60に「(トキワ荘仲間の中で)オレだけ彼女がいたんだよ。ハンサムだったから」という赤塚の発言が、藤子不二雄によって紹介されている。
  10. ^ 原稿提出日を「今日か明日か」と言うことから「泉鏡花」を連想し、そこをもじって「いずみあすか」となった[38]
  11. ^ 3人ともワーグナーが好きだったためドイツ名の「マイヤー」が候補となり、そこにU(ドイツ読みでウー)を付け「うまいやー」となり3人の頭文字(水野のM、石ノ森のI、赤塚のA)になるようにもじって「U・MIA」、表記をカタカナとし「U・マイア」となった
  12. ^ 赤塚不二夫は、アシスタント制度は自分が最初に導入したと述べている[13]
  13. ^ ただし、赤塚は同社の出版部門のみに属し、アニメーション部門にはノータッチであった[44]
  14. ^ 以後2010年現在までに『天才バカボン』は4度、『ひみつのアッコちゃん』は3度、『おそ松くん』『もーれつア太郎』が2度にわたりテレビアニメ化されている。
  15. ^ 『バカボン』の第1作のアニメ化の際に「パパが無職なのは子供番組として良くない」というテレビ局の要請で植木屋と無断で設定された際には「パパは無職(バガボンド=放浪者)でないといけない」としている赤塚を失望させたと言う。そのために2回目のアニメの際に赤塚は拒否するはずだったと言い、原作に忠実=パパが無職と言うことで「元祖」と言うタイトルを付けており、ED「元祖天才バカボンの春」の作詞も手がけている。
  16. ^ 元々、まんがNo.1という名前はフジオプロのファンクラブ会報のタイトルだった
  17. ^ 『天才バカボン』「週刊少年マガジン」、『のらガキ』「週刊少年サンデー」、『ギャグゲリラ』「週刊文春」、『オッチャン』「週刊少年キング」、『ワルワルワールド』「週刊少年チャンピオン」。
  18. ^ 『天才バカボン』「月刊少年マガジン」、『赤塚不二夫の歌謡ギャグ劇場』「月刊明星」、『つまんない子ちゃん』「プリンセス」、『らくガキ』「読売新聞 日曜日版」、『ニャンニャンニャンダ』「冒険王」(途中より斉藤あきらによる代筆)、『元祖天才バカボン』「月刊テレビマガジン」(長谷邦夫による代筆)、『おまわりさん』「全電通文化」(途中より北見けんいちによる代筆)。
  19. ^ 漫画好きで知られる麻生太郎自由民主党幹事長(当時)も「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で、(イヤミの)『シェー』はじめ、よく笑った。ちょっと残念だ」とコメントした。天才といわれ、その天才さえギャグにした「赤塚不二夫」さん死去”. オフイス・マツナガのブログ!(現役雑誌記者によるブログ日記!) (2008年8月3日). 2014年2月5日閲覧。
  20. ^ ビートたけしも一時的に参加した事があったが(本人の項参照)、グループの雰囲気が肌に合わず離れている。ただし、その後も赤塚の対談集『これでいいのだ。』へ参加したり、バカボンのパパを思わせる扮装を好んで披露したりしている。共演頻度こそ少ないがタモリとも交流を保っており、また所ジョージとは公私に亘っての盟友関係にある。
  21. ^ 武居俊樹・著「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」に「オレ、由利徹、尊敬しているの。あの人、ずうっと、くだらないことやり続けてるじゃない」「オレは由利徹で行く。死ぬまでくだらない漫画描き続ける」という、赤塚の発言がある[139]

出典

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「赤塚不二夫」の続きの解説一覧

赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:00 UTC 版)

曙出版」の記事における「赤塚不二夫」の解説

赤塚不二夫はつげ義春仲介曙出版契約交わし1956年昭和31年)に描き下ろし単行本嵐をこえて』でデビューしている。赤塚作品ブーム到来と共に赤塚フジオプロ作家作品のほぼすべてをアケボノコミックスとして刊行した。また曙出版代表作である『おそ松くん』『天才バカボン』単行本初めて完全な形で刊行した赤塚にとっても重要な出版社である。 嵐をこえて1956年貸本) - デビュー作2006年小学館クリエイティブによって復刊 嵐の波止場1956年貸本) - 2006年小学館クリエイティブによって復刊 湖上閃光1956年貸本心の花園 (1957年貸本消えた少女1957年貸本おそ松くん全集1968年、全31巻 別巻2巻) - 以降、赤塚不二夫 フジオプロ名義 しびれのスカタン1968年、全3巻) - 原作 赤塚不二夫 絵 長谷邦夫 もーれつア太郎1969年、全12巻天才バカボン1971年、全31巻別巻3巻) 赤塚不二夫全集ナマちゃん1(1968年ナマちゃん2(1968年) おハナちゃん1968年) おた助くん1(1969年) おた助くん2(1969年) おた助くん3(1969年) おた助くん4(1969年まかせて長太1969年) そんごくん1(1969年) そんごくん2(1969年) おた助くん5(1969年) おた助くん6(1969年九平とねえちゃん1969年) キビママちゃん(1969年) いじわる一家1970年ジャジャ子ちゃん(1970年まかせて長太2(1970年へんな子ちゃん1970年ミータンとおはよう(1970年モジャモジャおじちゃん1970年) 男の中に女がひとり 女の中に男がひとり(1970年新版世界名作まんが全集 ハッピィちゃん(1970年) まつげちゃん1(1970年) まつげちゃん2(1970年スリラー教授 いじわる教授1971年) われら8プロ1971年) おれはゲバ!1(1971年) おれはゲバ!2(1971年死神デースⅠ(1971年死神デースII1972年) ぶっかれ*ダン1972年、全3巻レッツラゴン12巻1973年狂犬トロッキー(1973年) - 斎藤あきらとの共著 大バカ探偵はくち小五郎1974年、全3巻ひみつのアッコちゃん1974年、全5巻) 鬼警部1974年滝沢解との共著 少年フライデー1975年、全2巻オッチャン1975年、全5巻幕末組(1976年ギャグ王様1976年上下巻) ニャンニャンニャンダ(1976年、全2巻風のカラッペ1976年、全4巻) ぼくはケムゴロ(1976年ギャグゲリラ1977年、全4巻) 曙文庫 天才バカボンのおやじ1976年、全3巻Oh!サルばか(1976年モジャモジャおじちゃん1976年) ミスターイヤミ(1976年) くそババア!!1976年) - 原作滝沢解 名人1976年ジャジャ子ちゃん(1976年ヒッピーちゃん(1976年) いじわる一家1976年まかせて長太 第1巻1976年ひみつのアッコちゃん 第1巻 (1998年)

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:36 UTC 版)

ニャロメ」の記事における「赤塚不二夫」の解説

ニャロメ生みの親

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赤塚不二夫(あかつかふじお)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 09:43 UTC 版)

まいっちんぐマンガ道」の記事における「赤塚不二夫(あかつかふじお)」の解説

『おそ松くん』大ヒット飛ばした漫画家。『シェーン』が好きで藤子スタジオテレビを見に来た。

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 13:53 UTC 版)

北見けんいち」の記事における「赤塚不二夫」の解説

ギャグゲリラ』(1972年 - 1982年週刊文春連載)における台詞の手書き文字は、初回から最終回までほぼ全て北見書いたのである

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:39 UTC 版)

これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」の記事における「赤塚不二夫」の解説

主人公

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 07:34 UTC 版)

あだち勉物語 〜あだち充を漫画家にした男〜」の記事における「赤塚不二夫」の解説

漫画家初登場時にはすでに売れっ子であり、勉ともども周囲を(時には勉をも)振り回す

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:05 UTC 版)

手塚治虫」の記事における「赤塚不二夫」の解説

赤塚不二夫も手塚治虫漫画新寶島」「ロストワールド」に出会ったことで、漫画家になることを決意した。彼が18歳の時は長谷邦夫石ノ森章太郎一緒に墨汁一滴』を描く仲間として手塚の家を訪問したその時手塚締め切り追われ忙しいにもかかわらず赤塚達の似顔絵描いたり、ピアノ披露したりして彼らは感銘を受ける赤塚新人漫画家としてデビューした頃、手塚は「赤塚クンりっぱな漫画家なるには一流映画を観なさい、一流小説読みなさい、そして一流音楽聞きなさい」と助言した手塚言葉従い赤塚レコード店行き店員に「一流音楽聞きたいんです。一流レコードくださいと言うが、店員何を渡したらいいのか分からず困ったという。その後赤塚手塚住んでいたトキワ莊暮らした手塚トキワ莊メンバー同様にマンガからマンガ勉強するんじゃないよ。」「一流芝居を見なさい、一流の本を読みなさい」などと言っており、赤塚は「だから僕たち(トキワ莊メンバー)はあの頃、ほとんど酒なんて飲まなかった。そのかわり映画を見に行こう音楽聴こうジャズコンサート行こう小説を読もう手塚先生そうしろって言ったから。」「その時はわからなかった。それで後になってからその意味わかってくる。手塚先生おっしゃってたことは、やっぱりすごく大きいのだ。いい音楽聴きなさい。いい映画を見なさい。いい芝居をみなさい。本当に大事な教えだったんだと今にして改めて思うのだ」と語っている。手塚赤塚をたびたび自身漫画登場させている。それと同時に手塚赤塚ギャグである「シェー」など気に入っていたのか「W3」「火の鳥」など複数の作品使っている。手塚の「ブラック・ジャック」の『アヴィナの島』の回では赤塚の「天才バカボン」のパパ登場する

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赤塚不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:24 UTC 版)

高井研一郎」の記事における「赤塚不二夫」の解説

赤塚とは石ノ森章太郎主宰した「東日本漫画研究会」を通じて知り合った1962年赤塚が『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」を始めにあたり、彼を手助けすべく共同執筆となった。この漫画特徴付けイヤミ、デカパン、ハタ坊などのキャラクターは、高井赤塚の「口伝て」をもとにデザインしたのである

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